2025年04月26日

Night in Manhattan


 中森です。

 今週出張があったのもあり本を読む時間を新幹線の中とかでまとまってとることができた。量子コンピュータの本を読み、その間には村上龍の本をつぎつぎと読んでいた。昨日読み終わったのは「ストレンジ・デイズ」。そしてその前に読んだ本は女の設定は村上的なのだが純恋愛小説に仕上がっている「心はあなたのもとに」。話の進み方が小池真理子的だと思っていたら、巻末の解説を小池真理子が書いていた。


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 ジャズを聴くという女の子がいたら、僕は習慣的に「ヤバイ」と思い構えてしまう。そんな女の子たちはジャズをアクセサリーのように扱いほとんどが表面的な聴き方でそれはそれでいいのだが、あのねそれではジャズを聴くとは言わないんだよという気がする。プルースと歌物の区別すら分かっていないのだきっと。だからと言って深く聞き込んでいる子は個性が強すぎて女性として敬遠すべきカテゴリーの女性の性格に入ってしまう。なのでそれがどんなに美人であったとしても僕はひいてしまう。それが僕とJAZZと女の子とのかかわり方だ。

 しかし若いころ一人の女の子を好きになった。その子はとてもJAZZそして音楽というものに造詣があった。村上春樹もYさんは好きで「羊」がいいと言った。当時僕は平均以上にJAZZは詳しいと思っていたのだが、そんな僕の知らない領域のJAZZを彼女は教えてくれた。

 「心はあなたのもとに」に次の記述があって、そのころの自分を思い出した。

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 ホテルのわたしの部屋のソファに座り、西崎さん、あの曲を聞かせて、と言って、コニャックをストレートで飲みはじめる。ジョン・コルトレーンの「バラード」というアルバムの最初の曲「Say it」で、ミサキと「サクラ」と三人で九州のオーベルジュに行ったとき、レストランで流れていた。旅行のあとミサキはコルトレーンの「バラード」のCDを買ったらしい。そしてわたしといっしょのときには必ず「Say it」を聞きたがった。カーリン・アリソンという女性歌手が歌う「Say it」が流れはじめると、わたしにもたれかかってきて、まるで動物や昆虫の擬態が解けるような感じで、ミサキは服を脱ぎはじめる。固い殻が割れてドロリとした卵が流れ出てくるような感じで、ミサキと会うのは、この瞬間のためかも知れないと思う。

 「心はあなたのもとに」 村上龍著

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 大学時代ジャズ研に僕は在籍していた。そこではみな何かしら楽器を演奏していた。入部の際に僕は楽器を演奏したことがないので入部したとしても演奏するつもりはありませんといった。そんな僕をジャズ研の先輩たちは温かく受け入れてくれた。そのうちに何か楽器を演奏しなくてはという雰囲気が部室に行くたびに僕の周りに流れているのを感じていた。

 しばらくして僕が当時アート・ペッパーが好きだったので、とりあえずSaxでもやればという風になった。さらに他の大学から演奏に来ていた林君はセルマーのalto saxを買ったのでそれまで使っていたヤマハのサックスがいらなくなっているという。それを安価で譲ってもらった僕は部室の片隅でsaxを練習することとなり、さらに月1だったか週1だったか忘れたが、近所にあるsax教室に習いに行った。そうして最悪のsax奏者が誕生した。

 文化祭JAZZ研は教室を締切り暗幕で覆い夜の雰囲気を出しJAZZライブハウスをやった。ビールを出したり水割りを作った、そして順番に僕も演奏をさせられた。リズムセクションとSAXのユニットである。そこに高校の同窓生で東京の大学に通うM君がYさんという女の子を連れて来てくれた。彼女はJAZZが好きだというのでM君が一緒に行こうと誘ったらしい。

 僕はYさんが次々と披露するJAZZの知識に舌を巻いた。それは本物を知った人の知識であった。そんな彼女が好きであるミュージシャンやアルバムの解釈は、有機的に僕の心と共鳴したのだ。二人が帰ってからも、ずっと僕はそんなYさんの魅力に包まれていた。

 ある時彼女から手紙が来た。そこには文化祭のJAZZライブハウスのお礼と、Yさんが好きな女性ボーカルの名前やアルバムが書かれていた。アン・バートン、リー・ワイリー、リンダ・ロンシュタット。リンダ・ロンシュタットが歌うJAZZは僕も聞いていたのでそれを基本にしてアン・バートンを思い描いたのだが、そのレンタルショップにそれはなくそのアルバムをどうしても聞きたくなってしまった。彼女にカセットに入れて送ってほしいという。すると何本も何本も彼女が気に入ってくれるアルバムをダビングしてくれた。リー・ワイリーはレコード店で見つけた。あまりにもジャケットが素敵だったのでそれを買って部屋に飾った。もちろん音楽は最高だ。


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 ある時YさんがM君と別れたといい悲痛な声で電話をしてきた。そしていまから僕のアパートに行ってもいいかと聞いてきた。しばらくすると彼女が僕のアパートのドアをノックした。彼女は僕に抱きついてきてしばらく泣いていた。彼女の肩を抱き心が収まった時ぽつりと彼女は言った。

 「コルトレーンのバラードをかけて。」

 それが僕とコルトレーンのアルバム「バラード」の思い出だ。そしてそのアルバムの第一曲目がSay Itである。この曲にはコルトレーンの地球的な規模の深遠で普遍的な愛が存在していた。

 それから僕はコルトレーンの精神世界にどんどんのめりこんでいき、宇宙や神や神秘世界の存在を信じるようになりSaxを売ってくれた林君と一緒にインドを一か月放浪した。


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https://www.youtube.com/watch?v=oRh0hxV1_SU


 今日はそんなとこです。

 では


 中森慶滋
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2025年04月19日

量子コンピュータ


 中森です。

 先週の土曜日、テレビで大阪万博の開会式を見ていた。何か新しいことがこれから始まるという事の象徴として印象に残ったことがある。秋篠宮皇嗣殿下が透明な板に手をかざした瞬間緑色に輝きそれが合図としてディスプレーが反応し開会を告げるということ。

 万博はこれまで興味ないと言っていた息子たちは、行く気満々でiPS心臓を見てみたいなどと書いてきている。一人はメディカルスタッフとして参加するその登録証をLINEにあげてきた。

 なんだ興味あるんかい!(笑)

 僕が一番インパクトを受けたのは8月に特別展が行われそこで量子コンピュータが展示されるというもの。それから頭の中は量子コンピュータ一色となり、この一週間の間で様々な本を読んだ。WIREDの最新号も量子コンピュータを特集していた。

 まず2023年にブレークスルーが起こり、飛躍的に量子コンピュータの開発が現実化していった。その後次々と連鎖のように新発見が押し寄せてきている。そしてすでにコントロールが極めて難しいという技術が開発を速めているという。

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【ニューヨーク州アーモンク - 2023年6月14日(現地時間)発】
 IBM は、100超の量子ビット規模において、量子コンピューターが古典アプローチを超える正確な結果を導き出せることを初めて実証した、科学雑誌「Nature」の表紙を飾った新たなブレイクスルーを発表しました。
https://jp.newsroom.ibm.com/2023-06-15-IBM-Quantum-Computer-Demonstrates-Next-Step-Towards-Moving-Beyond-Classical-Supercomputing

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 IBMの量子コンピュータが古典スーパーコンピュータを凌駕することを実証 IBM「実用化の新しい時代に入った」2023年6月16日

 IBMは100超の量子ビット規模において、量子コンピュータが古典アプローチを超える正確な結果を導き出せることを初めて実証。科学雑誌「Nature」にも掲載された新たなブレイクスルーを発表した。

 量子コンピュータで最先端の古典シミュレーションを凌駕

 量子コンピューティングの究極の目標のひとつは、古典コンピュータでは効率的にシミュレーションすることができない物質の構成要素をシミュレーションすること。これらをモデル化できるようになることは、より効率的な肥料の設計や、より優れた電池の製造、新薬の創出といった課題に取り組むための重要なステップとなるとされている。
https://robotstart.info/2023/06/16/ibm-break-through-quantum-computer.html

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 2024年1月19日に発表されたプレスリリースは以下のとおりです。

 東京大学大学院工学系研究科の紺野峻矢大学院生(研究当時)およびアサバナント・ワリット助教、古澤明教授らの研究チーム、情報通信研究機構(以下、NICT)、理化学研究所、チェコ共和国のPalacký UniversityのPetr Marek准教授およびRadim Filip教授、ドイツ連邦共和国のUniversity of MainzのPeter van Loock教授は、伝搬する光の論理量子ビットであるGottesman-Kitaev-Preskill量子ビット(以下GKP量子ビット)を世界で初めて生成しました。
https://www.leapleaper.jp/2024/02/02/breakthrough-of-the-linear-optical-quantum-computing/

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 Microsoftが量子コンピューティングのブレークスルーを発表、量子物理学者がその意味を
解説  2025年2月20日

 Microsoftの研究チームが、エキゾチックな物質状態で情報を保存するデバイスにおいて、初めての「トポロジカル量子ビット」の作成に成功したと発表した。これは量子コンピューティングにおける重要なブレークスルーとなる可能性がある。

 同時に、研究チームは『Nature』誌に論文を発表し、今後の研究の「ロードマップ」も公開した。Majorana 1プロセッサの設計は最大100万量子ビットを収容できるとされており、これは暗号解読や新薬設計、新材料開発の高速化など、量子コンピューティングの重要な目標の多くを実現するのに十分な規模である可能性がある。

https://xenospectrum.com/microsoft-just-claimed-a-quantum-breakthrough-a-quantum-physicist-explains-what-it-means/#google_vignette

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 現在最速のスーパーコンピュータの1000兆倍のスピードが実現する。ピットの世界からキューピットという量子を操作することで自然・宇宙・生命・人間をシュミレートすることができるという。そのことで人体に投与していた医薬品の開発はコンピュータ上で行うことができる。つまり実験科学から計算科学へと移行する。

 生成AIが世の中を変える原動力だと思っていたが、今やすでにそれをはるかに乗り越えた次元に達しようとしている。

今日はそんなとこです。


では



中森慶滋
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2025年04月12日

「春になると憂鬱になるわ」という歌について


 中森です。
 
 3/20のあさがおマラソンで転倒し右ひざを負傷した。それが大きな瘡蓋(かさぶた)となり神経を刺激していたのかもしれないと今になって思うのだが、右足の上部の腰とのつけねの痛みがずっと続いていた。このままこの痛みと一生付き合わなければいけないのかもと次第に心はうつ状態となり、ましてやジムでのランは取りやめとなっていた。それでは体重は増えてしまうと思い食事を制限していたら体重に関しては以前より多分軽くなっているのだと思うのだが、足上部の痛みはずっと取れずにいた。

 木曜日には整形外科に行こうと思っていた矢先のこと。今週のZoom会議の時に瘡蓋が若干かゆくなってきていたのでそっと上から搔いていた。すると端っこが取れだしていることに気がついた。傷の周囲は治癒してきたのかもしれないと思い少しだけ周りを外していった。
 
 その日の夜の足上部の痛みは全くなくなり、あれと思っていたら翌日の日中の痛みも無くなってしまった。現在は多少の痛みはあるものの、この分では日常のランには差し支えないのではないかと思うまでになった。今から考えると瘡蓋で神経が突っ張り痛みを発出していてその神経の信号が足上部の痛みを引き出していたのではないかと思うのだ。

 とにかく回復に向かい出したので一安心である。そんな今朝はSpotifyが選んだ僕へのおすすめの曲はjazzやクラシックが混合した選曲だ。ジョンレノンも出てくるんかと思っていた時に明らかなショパンのフレーズ、作品番号とオパスで書かれているのでどの曲からなのかはわからないがpreludeと書かれていた。ショパンのフレーズは車窓から見えるあたりの桜と新緑と溶け合い輝きを放っていた。

 春の曲はいろいろある、特にjazzでは。「Afternoon In Paris」「Spring is here」「You must Believe In Spring」「Some Other Spring」「April In Paris」そして「Spring Can Really Hang You Up The Most」などだろうか。それぞれ春の喜びと美しさを歌った曲なのだが最後に書いた「Spring Can Really Hang You Up The Most」はJAZZではそれほどメジャーな曲ではない。

 春になると、とても私は打ちのめされるのというタイトル。意訳すると春が来るといつも私はとっても憂鬱になるの。という感じだ。この歌の歌詞は、恋に破れ、部屋の中で寝転がって天井を見つめたり、時間つぶしに公園を歩いたりして、1月には確かに感じた愛が、4月には亡霊になってしまった。学生たちは愛の詩を書き、小鳥は愛の歌を歌っているけれど、4月は本当に最低だし、憂鬱な季節だわ、と延々と話し出す。とっても好きだった人と別れたのが春だったのだろう、春になるとそのことを思い出すという内容である。

 前回のブログで「バストラムのドッという低音一発に合わせて、脚を真っすぐに頭の上まで上げて、ただ降ろした、」という一瞬の光景が目に焼き付いたと書いた村上龍の文章を抜き出した。それと同じように印象に残った光景の断片を目にしたことがある。今から10年以上前のこと。六本木のライブハウスでジャズシンガーのakikoをタリスカをロックで飲みながら聴いていた。

 リクエストはないですかと彼女が聞く。場内からいくつかあがるのだが、それはスコアがない、とかなどと言いみな応じようとしない。すると後ろにいたドラマーが「Spring Can Really Hang You Up The Most」と言った。身内のあなたがなんてことを言うのなどと言った感じで彼女は振り返る。ダメダメなどと言いこれも拒否しようとする。しかしドラマーは「やろうよ」などと言い彼女を説得しだした。

 「わかったわ」と言った感じで意を決した彼女は深く息を吸い込み歌い出した。ライブハウスの中は不思議な緊張感に包まれ、彼女の魂がすべての人たちに乗り移ったようなそんな感じがした。ワンコーラスを歌いピアノのソロに入った。その時僕は見たのだ、彼女の目から涙があふれだしているのを。

 彼女のデビューアルバムは『ガール・トーク』というアルバムだ。このアルバムはスイングジャーナル誌主催2001年ジャズディスク賞である「ニュースター賞」を受賞するとともにスイングジャーナル誌選定「GOLD DISC」にも選ばれた。

 アルバムには「ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」「クレイジー・ヒ・コールズ・ミー」「クローズ・ユア・アイズ」「ガール・トーク」「ナイト・アンド・デイ」「枯葉」などと言った気軽なJAZZ ファンに一般受けするタイトルが並ぶ。

 デビューアルバムは歌手にとって今後の歌手生命を左右するので最高のアルバム制作しようとするのだと思う。それだけに意気込みは違うはずだ。その結果このアルバムは評価され彼女はジャズ歌手仲間入りを果たすことができた。

 しかし一つだけ腑に落ちないことがあった。このアルバムの一曲目の曲はとても暗くて存在感を感じさせられない曲なのだ。彼女のライブで、このアルバムを初めて聴いたとき僕がそう思ったことを思い出した。

 その曲は「Spring Can Really Hang You Up The Most」

 この疑問は彼女の涙を見たときに僕は理解した。彼女は失恋を胸にジャズシンカーとして再出発しようとしたのだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=0DzTlVzpR_I

 今日はそんなとこです。


 では




 中森慶滋
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2025年04月05日

走れ!走れ走れメロス


 中森です。

 薬業界の業界紙の記者にはいろいろな経歴をもったひとがいて面白い。取材の時そんな話をよく聞く。以前一人旅でペルーなど南米の遺跡を見て回ってましというものや、中東の情勢をフリーランスで取材に出かけていたことがあるという記者。
 ある時その記者がドキュメンタリー映画を制作しているのを知った時にはさすがに驚いた。折口君はドキュメンタリー映画を作りその映画が様々な映画際のコンクールで賞を受賞しているというのだ。僕はその映画をぜひとも見たくなった。彼とは金沢に取材に来るたびに金沢の夜の街を飲み歩く仲となっている。しかし肝心の映画はサブスクでは見ることはできず残念に思っていた。

 その映画が金沢21世紀美術館で上映されるという情報を知り、ついに見たのが先週の土曜日の話である。15.30からの上映の1時間前に美術館についた僕は美術館内の材木でできたというだけの長椅子に座り村上龍の「コックサッカーブルース」を読んでいた。周りには女子複数連れやカップルが目の前の巨大なガラス窓の向こう側を歩いている。彼女たちがこちらを見ているのは僕を見ているのではなく、ガラスに映った自分のファッションや髪形をチェックしているのだ。

 時間が近くなり会場に入った。シアター21は様々なイベントで使用され僕も何度か前衛的なモダンダンスなどを見に行ったことがある。

 この映画、山の中の高校の分校の話。この分校は市中の高校には通えるだけの学力がない生徒や、人の中に溶け込めず登校を拒否する生徒などと言った世間の枠組みからはみ出してしまったものたちの受け入れとして存在している。一学年は20名程度で全校でも70名の生徒がバスで1時間以上かけて山の中の分校まで通っている。そんな落ちこぼれたちの4人が演劇人である先生に出会ったことから人生が動き出す。一人が「走れメロス」をやりたいというのであっさりとそれで演劇をやることになる。

 普通の生徒以下の能力しかないものたちが4人来ただけでは実現はできないと観客はみな思う。一人は高校に入った時3年間自分はここで高校生活を行うのは無理と思う。そんな彼は暴力沙汰を引き起こしたこともあった。知的な障害を持った者もいる。そんな彼らを先生は優しく見守り彼らの意見を尊重し指導していく。時間と共に見る見るうちに彼らは変貌していった。演劇に目覚めたのである。目つきが変わり言葉の表現力も増していく。

 高校演劇祭が始まった。彼らは本校の三刀屋高校の演劇部の質・人員・表現力のすごさに圧倒される。コロナ禍で大会は観客がいない中彼らの番が始まる。

 この大会では県大会への進出は叶わなかった。このまま誰にも見てもらえないまま終わると思ったが、その後予想外の方向に向かっていく。さらに磨きをかけた彼らは別の演劇祭に出演した。その演劇祭で評価され、全国大会に出演したのだ。

 これらの現実に起こったドラマを折口監督は冷静なカメラでインタビューを交えクローズアップし、監督が投げかけた質問が彼らから人生と演劇の本質を引き出しドラマを作っていく。

 最近読んだ村上龍のエッセイに次のような記述があるのを思い出した。

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 「憶えているのは、一人の、名前も知らない女のダンサーの、脚の上がり方だ、その女性ダンサーは、さまざまな振り付けの中で、バストラムのドッという低音一発に合わせて、脚を真っすぐに頭の上まで上げて、ただ降ろした、
 それだけのことだったのだ、一瞬の動きだったが、鳥肌が立った、

(略)

 「それがどうした?」と言われた時に、どうすばらしいのか、説明するのが難しい、(しかし、私は、『ダンシン』のその脚を見た時に、世の中には、一瞬ですべてを表現する人間がいることを知ったのだった
その頃は、『コインロッカー・ベイビーズ』という長い長い小説を書き上げて発表して、「だいじょうぶマイ・フレンド』という映画を作ろうとしている時期だった、(『コインロッカー・・・・」は原稿用紙にして八百八十枚あり、書くのに一年以上かかった、でもその長い小説のテーマと、「ダンシン』における剛は同じだとわかった。

 「普通の女の子」として存在したくないあなたへ 村上龍著

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 「バストラムのドッという低音一発に合わせて、脚を真っすぐに頭の上まで上げて、ただ降ろした」こんな瞬間を僕はこれまで多く経験しているかもしれない。振り返ってみると、どんな俳優でもこんな表情は出せないと思わせる、そんな一瞬の出来事が印象として僕の中に深く突き刺ささり、それが現実として目に入ってきたのを覚えていることに気がついた。こんな瞬間の断片が人生の記憶を形作っているのだ。

 ドキュメンタリーは現実世界の中からそんな一瞬を切り取ることができるかという映像の集積である。一番それが得やすいのは爆弾が飛び交う戦場での出来事なのかもしれない。そのため戦争カメラマンや取材に行くというフリーランスのジャーナリストが多く存在している。しかし何気ない日常の中でドラマを切り取りだしそれを流れとして表現することができる事の方が難易度が高いともいえよう、これができるのは稀有の才能だと思う。「走れ!走れ走れメロス」を観て感動した、そしてこの映画はとても凄いことを表現していると思った。

 折口君に上映後話を聞いた。インタビューシーンが多くありそれで構成されていたが、これって監督がドラマを引き出す質問がよかったからなのではというと彼は嬉しそうにしていた。今は能登の地震で被災した薬局の薬剤師のキャラに惹き付けられているという。

 「走れ!走れ走れメロス」
 https://www.run3melos.com/ このページに予告編の動画もあります。

 今日はそんなとこです。

 では



 中森慶滋
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2025年03月29日

限りなく透明に近い村上龍


 中森です。

 明日石川県薬剤師会の全体集会である保険業務研修会が開催される。何を言おうかと考えたのだが、AIの台頭について3/8のブログでも書いたユヴァル・ノア・ハラリ氏の「NEXUS」について触れようかと思う。その本はすでに3/10日ごろ読み終わったのだが、ブログの初めに僕が彼のインタビュー番組を元に書いた内容と極めてクロスしている箇所が「NEXUS下巻」に書かれていた。

*-*-*-*-*-*-*

 全体主義体制はあらゆる情報を単一の拠点へと流して、そこで処理することを目指す。電宿や電話、タイプライター、ラジオといったテクノロジーは、情報の中央集中化を容易にしたが、それら自体は情報を処理して決定を下すことはできなかった。それは、人間にしかできないことであり続けた。

 「中央へ流れる情報が増えるほど、それを処理するのが難しくなった。全体主義の支配者や政党は、手痛い間違いをたびたび犯したが、彼らの制度にはそうした誤りを突き止めて正すメカニズムがなかった。多くの機関や個人の間で情報をーそして、決定を下す力もー!分散化するという、民主主義体制のやり方のほうがうまくいった。データの洪水にはるかに効率的に対処できたし、どれか一つの機関が間違った決定を下しても、いずれ他の機関によって修正された。

 ところが、機械学習アルゴリズムの台頭は、世界中のスターリンのような人々がまさに待ち焦がれていたことかもしれない。AIのせいでテクノロジー上の力の均衡が崩れ、全体主義体制が優位に立ちうる。実際、人間はデータの洪水に見舞われると圧倒されることが多く、それが誤りにつながりがちだが、AIは大量のデータを浴びせ掛けられるとより効率的になる傾向がある。したがって、AIは情報の集中と一か所での意思決定を好むようだ。

 「NEXUS下巻」ユヴァル・ノア・ハラリ著

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 僕は1月26日に村上龍氏の本を5冊BOOKOFFで買い、読み始めた。衝撃を受けた僕は次々と読み続け、今まで31冊読み(そのうちの2冊は僕の中で消化しきれなかったので途中で投げ出した)現在32冊目を読んでいる。その間彼の本をamazonで売っている1円という投げ売り状態の中古本やBOOKOFFで購入をし続け未読の本が39冊(あと5冊ほど来る予定)あり家内の冷たい視線に耐えながら次はどれを読もうかなどと至福の時間を過ごしている。本屋さんで販売しているのは彼の代表作ばかりでおそらく10冊も店頭には並んでいない。売り場面積の小さな本屋では、本が売れなくなった現在事情を反映し書籍売り場の縮小も伴い一冊も見かけないことも多い。

 作家は実体験を元にあとは想像の世界で小説を組み立てる。実体験の違いが文章の説得力の違いに現れる。特に女性作家の場合、その人が美人かそうでないかでこの世の中の中で見ることができる世界の広がりが違ってくる。そのためこれは本来ありえない想像の世界で書いているのだと思うこともあり、ファンタジーに流れてしまうことが多い。しかし自分の美しさをいかにお金の価値に変えられるかという視点の本質を分かっている人が書いた小説は鋭く世の中を抉り出すことに成功している。これは僕独特のアプローチの仕方なのかもしれないが長年本を読み続けた先にあった到達点なのかもしれない。

 同じように村上龍の内容は経験したことがない人でないと書くことができない異常な世界である。それはまるで僕がインドの壮絶な社会を学生時代知った時のような新しい世界の発見と彼が描くその根拠となる事実の提示に納得するとともにその世界に入り浸りたいとの要求が僕に60冊以上の本を買わせた。この60冊は中古本ばかりなので総額は20,000円はおそらくいっていない。それはとてもコスパに優れ得した感じである。その心地よさも僕の中でずっと渦巻いている。

 彼の本をハラリ氏のようにこのブログで簡単に抜き出すことは出来ない。極めて慎重な対応が要求されるからだ。いつも読む本の気になったところや、表現方法の素晴らしいところには鉛筆で線を引きページを折り曲げているのだが、村上龍氏の本はところによると次から次と折り曲げているところがあり、これほどまでに折り曲げている本は彼以外にはほとんどない。それだけインパクトを受け続け読んでいることになる。

 このブログのタイトル「限りなく透明に近い村上龍」に深い意味はない。(笑)


 今日はそんなとこです。


 では


 中森慶滋
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2025年03月22日

あさがおマラソン


 中森です。

 今から11日前の火曜日にジムにいき16.17kmを走ってきた。この距離は普段だと調子がいいときの距離であったが、その日はやっとたどり着いたという感じであった。そのためは多少の調子の悪さを感じていたのだ。その10日ほど前に走ったときは最初からトレッドミルの速度がとても早く感じ、やばいと思いながら走ったのだが4.2kmで降りてしまった。

 火曜日の16.17kmを走った2日後に左臀部に痛みを感じて張り薬を貼り痛み止めを飲んでいた。痛みの原因は不明である。精神的なモチベーションは最悪な中3月20日を迎えた。この日は第一回のあさがおマラソンがあるのだ。

 金沢マラソンで最悪の6時間台をたたき出してしまってから精神的にはダウン傾向でこのまま大会の出場は諦めようかと思っていた。そんな中でのあさがおマラソンの10kmに応募したのだが1時間04秒のこれまでの記録更新なんてできるわけはないと最初から気合が入っていない。しかも左臀部側面の痛みが続いている。痛みに関しては鎮痛剤を飲めば何とか持ちこたえることができる自信があるのだが、そもそもいたみの原因がわからないのも不安である。

 そんな中20日の朝を迎えた。駐車場の割り当て希望を出していなかったので、早めに行くことにする。早く起きて家でのんびりするくらいなら駐車場の確保に動いた方が安心するのは僕の性格だ。

 まだ暗い6時には体育館に一番近い駐車場に停めて車の中でテレビを見ていた。イーロンマスクのテスラの車が抗議で燃やされているという。しばらくすると体育館の方が賑やかになってきたので車から移動することにする。大会らしく多くの人たちがいた。着替えやトイレそして学生と思われるクラブのユニフォームを着た人たちがアップをしている。薬剤師で金沢市議会議員の宇多君もいたので声をかけ写真を撮る。彼はハーフに出場するらしい。8時25分にハーフのスタートの合図で我々10km組の前を一群は走っていった。

 15分後は我々のスタートだ。ピストルの合図とともに走り出す。当初は雰囲気にのまれスピードは5分30秒と早すぎなのでペースを落とすことにする。6分11秒ぐらいがちょうどいいかもと思ったのだが、そのペースでも早すぎることに気がついた。とても調子が悪いのだ。体全体で感じる不調の感じ。ジムで4.2kmでトレッドミルから降りたときのようだ。これだと体がもたない。その時点で棄権したいと弱気になる。しかしそのうち体が慣れてくるだろうと思いしばらく走るのだがシューズが固く感じ路面から来る反発のベクトルが体につらくあたる。「やばい」と思う、何とか走りつづけるのだが体が重く感じる。もう年齢的に無理なのだろうかと思う。村上春樹も60歳を超えるとマラソンでこれまでの記録を超えるのは難しくなると書いているのを思い出す。

 気を取り直して苦しみと戦いながら走り続けた。普段ジムでは10kmはあっという間に過ぎてしまう、と思い自分をだましながら走った。

 新幹線との立体交差7.5km付近だろうか、下り坂で下を向いたときバランスを失い前へ膝をついた。走っていると体のコントロールは効かなくなってしまう。そのためころころと転んでしまった。男の人と女の人から大丈夫ですかと声をかけられる。ほんとにありがたいことだ。大丈夫ですと言い起き上がり走り出し安心させようとした。走る姿を見て二人は安心したのか僕の前を走りすぎていった。しかし右ひざの痛みが強くかなりつらい。おそらく出血しているだろうと右手のひらの擦り傷をみて思う。ランニングタイツは破れているだろう。

 気を取り直し何とか走り出した。しばらく行くとハーフを走ってきたランナーと10kmコースが合流する地点が来る。右方向からハーフのランナーが走って来る。時間で言えば1時間20分程度の超高速ランナーたちだ。みな立派な体格をしている。Tシャツではなく本格的なランニングシャツを着て、全速力で走っている。「なんて美しいんだろう」と思う。走るフォームの美しさもあるのだがそれから生み出されるオーラが光り輝いている。こんな素晴らしい人たちとわずかであるが一緒に走れる体験は初めてだ。僕の倍以上のスピードで走り抜けている彼らを眺めながら我々10km組はみなそのランナーのために右側をあけてあげてとぼとぼと走っていた。

 しかし高速ランナーもゆっくりと10kmを走るランナーも、すべてのランナーの気持ちは「少しでも早くゴールする」そして「この苦しみから早く逃れたい」というのは共通している。これは実に美しい光景だ。この雰囲気を感じるために出場した価値は十分あるとその時思った。
 
 坂道で転び膝をすりむいて両手をすりむいて血だらけとなり走っている僕も1時間前半で走り切ることができる神から選ばれたランナーたちも純粋な一つの目標に向かって流れている時間を共有している。そのことに心からの感謝の気持ちが湧き起こって来た。それは僕が生きているという事を実感する瞬間であった。この瞬間は人生の一コマとして僕の中に記憶され続けるだろうと思ったのである。

 僕は1時間16分でゴールした。順位は339名中309位であった。

 家に帰り傷口の手当てをする。思った以上に傷は深く出血した露出部分は大きいので化膿止めを塗り、絆創膏を貼り保護した。


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 今日はそんなとこです。


 では



 中森慶滋
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2025年03月15日

恋愛の格差


 中森です。

 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の新刊「NEXUS」を上下読み終えた僕は、再び村上龍氏の本を読むこととした。膨大に購入してしまった村上氏の本50冊ぐらいがいま積みあがっているのだが一つ一つが深い洞察力で満たされているので僕の中に新しい価値観が構成されてきそうだ。

 村上龍氏の本はすでに本屋の店頭にはあまり並んでいないので、この50冊すべてがBOOKOFFかAmazonの「1円」で売られている中古本でかき集めたもの。Amazonは1円とはいえ250円ほどの送料がかかる。Amazonから34冊購入した。BOOKOFFでは一冊110円で売っているので50冊とはいえ全てで12,000円程度だ。1/3ほどは「すべての男は消耗品である」(13巻のうちの8冊程度見つけた)に代表されるエッセイなので軽く読み飛ばせるため休みの日には一日二冊以上読むことができる。小説はその世界に入り込んでゆっくり読んでいくものの50冊全部を読むのにそれほど時間はかからないかもしれない。

 その中で先週読んだエッセイ「恋愛の格差」から印象に残った個所を抜き出そう。引用が長いと冗長になるのでその断片を貼り付ける。

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 日本人の間に格差が生まれるということだ。今までも格差はあったが、それがさらに露わになる。そういった一体感の崩壊、つまりみんなだいたい一緒、という意識がなくなることに日本の社会は耐えられるだろうかということだ。
 (略)
 「年収が半分でも好きだったらかまわないんじゃないの」とわたしは言った。彼女は「それが好きかどうかわからなくなってきたんです」と答えた。好きかどうかわからなくなってきた理由が年収にあるのかどうかわからないが、少なくとも影響はあるだろう、彼女はそう言った。
 (略)
 「そういった結婚観の中で、ただの結婚相手探しを恋愛だと勘違いする風潮が生まれた。」
 (略)
 もちろん結婚相手探しにおいても、恋愛は存在した。だが全部ではなかった。結婚相手の男がそれほど好きではなくても生きていくためにしようがないから結婚したという女性も決して少なくないはずだ。この程度の男だったら我慢できるから結婚してしまおう、という結婚も少なくなかった。でもそのことを認めてしまうと寂しいので、マスメディアによって恋愛という装飾が施された。
 (略)
 いい人がいれば結婚したい、という女性は今でも大勢いると思う。だが、結婚すればそれだけで経済的に有利になると思っている女性は明らかに減っている。つまり男はその分だけ結婚相手を探すのがむずかしくなってしまった。経済力を含む自分の魅力で、若い女性をゲットしなくてはいけなくなった。もう恋愛の相手探しに協力してくれるような社会的常識はない。
 (略)
 それでは昔よりも今のほうがいい時代なのかというと、その通りなのだが、より正確には「少なくとも昔よりはいい時代」と言わなければいけないだろう。昔の人は、貧乏な中で生きてきて、豊かな世の中を作るために必死で働いてきたので、豊かになったときにどういう問題が起こるのかというようなことは考えなかった。考えなかったというよりも、知らなかったというほうが正確だろう。生活が豊かになると、成長しても家から一歩も出ないというような男の子が出現するようになるというようなことを予言できるような人間は恐らくいなかった。
 (略)
 豊かな社会が実現すると、これといった理由もなく離婚する中高年の夫婦が増える、ということを予言した人もいないのではないだろうか
 (略)

「恋愛の格差」村上龍著 2002/9/1発売

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 これはエッセイなのでまだ良識が保たれている。彼が描いた小説の神髄は異常な世界である。サディズムやマゾヒズムから薬物での変性意識を描き、人を殺したいと思う男が部屋に呼んだ女は自殺願望の女で男に殺される前にパスルームで自傷するなど、異常な性癖の中での男女の物語だ。「イビサ」「トパーズ」「ピアシング」「白鳥」「ラッフルズホテル」でノックアウトされた僕は次々と本を買い集めた。これほどまでに女性の本質 (これは女性が書いた方が真実味があるとの見方もあるが、男が書いた女性の本質に実は女性も気がつかないコアなものが隠されているのだ。) を抉り出している。

 普通の家庭で育ってきて、DEEPな世の中を知らずに世の中を歩いてきたあなたが読んでもただ眉を顰めるだけなのでおすすめはしない。

 しかしあなたがこのエッセイ「恋愛の格差」の上記の部分を読むとその片鱗は分かっていただけると思う。驚くことに23年も前の本なのだが、極めて現代(2025年)の様子を的確に表しているところがすごい。この本の中ではさらに踏み込んで書いているのだが、このへんにしておく。さすがに23年前の本は本屋さんにはどこにも売っていないのでBOOKOFFかAmazonに頼ることになるのだが、この本は「60円」で送料・手数料:¥240、合計300円で購入した。文庫のページは黄色く変色しているもののコスパは最高だ。

 先日の日曜日ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区にイスラエルが入植地と基地演習助を拡大するために、パレスチナ人の住居から小学校までを破壊し住民を洞窟に追いやるという、ドキュメンタリー映画「ノー・アザー・ランド」をシネモンドで見てきた。この映画はアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞した。

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 イスラエル軍による破壊行為と占領が今まさに進行している、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区<マサーフェル・ヤッタ>。
本作は、この現状をカメラに収め世界に発信することで占領を終結させ故郷の村を守ろうとするパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、彼に協力しようとその地にやってきたイスラエル人青年ユヴァル・アブラハームの2人による決死の活動を、2023年10月までの4年間に渡り記録したドキュメンタリーだ。
 https://www.transformer.co.jp/m/nootherland/

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 パレスチナ自治区には基本法があるだけで憲法はない。そのために個人の権利は保証されていないため、住民を法が守ってくれることはない。自治区の限界を描き出していた。


 今日はそんなとこです

 では




 中森慶滋
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2025年03月08日

一年で一番美しい金沢


 中森です。
 今朝の車の中でマレイ・ペライアのピアノのDVDを聴きながら運転していた。

 「マレイ・ペライア(Murray Perahia [ˈmʌri pəˈraɪə], 1947年4月19日 - )は、アメリカ合衆国のピアニスト、指揮者。大英帝国勲章KBEの受章者。
 ニューヨークのブロンクス生まれ。ギリシャのテッサロニキに起源を持つセファルディムのユダヤ人で、1935年、父親の代にアメリカ合衆国へ移住した家庭の出身[1]。母語はラディーノ語。熱心なユダヤ教徒でもある。Wikipediaより」

 彼のピアノはSteinwayの特性を極めてうまく引き出し、温かくそして優しいピアノだ。グレン・グールドは機械的な完璧さで弾き感情はその正確な機械に乗り移らせているので彼の演奏から神を感じる。マルタ・アルゲリッチはとても感情的でいて時にはキーを外すのだがそれが感情の一環として聞くことができるのでドラマを感じる。辻井伸行は我々の知らない見えない世界で構築された美しさを完璧に信じているそんなピアノ。

 ユダヤ人のマレイ・ペライア。彼と同じユダヤ人で今や世界の知として君臨しているユヴアル・ノア・ハラリ氏もイスラエル在住のユダヤ人だ。彼は新年に放映されたインタビュー番組で、これからの世の中は二つある真実を受け入れなくてはいけなくなるといい、AIが台頭してくるだろうがそれは北朝鮮やスターリンのような全体主義の中で我々を支配していく世の中をつくるだろうと語った。

 「なぜなら民主主義のシステムは分権化されていてチェックとバランスが機能する。しかし全体主義の北朝鮮のような国では、たった一人の操れ肩を学ぶだけでAIがその国全体を支配出来る。AIにとって1人の人間を操る方法を学ぶのはとても簡単だ。全体主義国家の中心でAIが誤った判断を下せば結果は壊滅的だAIが下す判断に誰も抵抗できないからだ。人は2つの事実を受け入れることができるはずだ。1つの事実にこだわらず事実は2つあると受け入れることだ」
 BSスペシャル「情報は人類を滅ぼすか〜ユヴァル・ノア・ハラリ 現代を読みとく」

 3月6日にユヴアル・ノア・ハラリ氏の新刊「NEXUS 情報の人類史」が発売され予約しておいた僕にAmazonからその日に本が届いていた。彼は冒頭のプロローグに次のように書いていた。

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 第二に、シリコンのカーテンは人間どうしを対立する陣営に分断するのではなく、全人類をAIという新しい支配者から隔てるようになるかもしれない。私たちはどこで暮らしていようと、人知を超えたアルゴリズムの網によって顔のようにすっぽり覆われ、アルゴリズムによって生活を管理され、政治と文化を作り変えられ、自分の身体と心までも設計し直される一方、自分を支配している力をもはや止めることはもとより、理解することもできないような事態に陥るかもしれない。もし二一世紀の全体主義のネットワークが世界征服に成功すれば、そのネットワークを動かすのは人間の独裁者ではなく人間以外の知能かもしれない。全体主義の悪夢の主要な源泉として中国やロシア、あるいはポスト民主主義のアメリカを挙げる人は、この危険を見誤っている。実際には、中国人もロシア人もアメリカ人も、他のすべての人間とともに、人間以外の知能の全体主義的な潜在能力に揃って脅かされているのだ。

 その危険の大きさを踏まえると、AIは全人類の関心事でなければならない。誰もがAIの専門家になれるわけではないにしても、私たちはみな、AIが自ら決定を下したり新しい考えを生み出したりすることのできる史上初のテクノロジーであるという事実を肝に銘じるべきだ。従来の人間の発明はすべて、人間に力を与えた。なぜなら、新しいツールがどれほど強力でも、その用途の決定権はつねに私たちの手中にとどまっていたからだ。ナイフや爆弾は、誰を殺すかを自ら決めることはない。

 それらは愚かなツールであり、情報を処理して自主的に決定を下すのに必要な知能を人いている。それとは対照的に、AIは自ら情報を分析するのに求められる知能を持っており、したがって意思決定で人間に取って代わることができる。AIはツールではない行為主体なのだ。
 ユヴアル・ノア・ハラリ著「NEXUS 情報の人類史」

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 先日の学術大会の開会式が行われた2月23日。知らない人から声をかけられた。とはいえ業界ではいろいろ顔を露出しているので、全国大会に行くと8割知らない人から声をかけられる。どこかでお会いしているのかもしれないが、僕は覚えてなくても相手は知っていることがほとんどだ。

 栃木県から来ましたと言い年配の女性は名刺を出された。栃木県薬剤師会の理事をされている方。今日は楽しみにしてきました。お会いできてうれしいです。といわれ。どうぞ楽しんでいってください。という。その日の開会の挨拶で僕は「今日は一年で金沢は一番美しい日です。雪で覆われた金沢はほんとに美しい。昨夜は金沢大学病院(会場は大学病院に隣接している十全講堂)から金沢の中心部まで歩いていきました。これが金沢です。ようこそ金沢においでいただきました。」

 翌日、再びその年配の女性が僕の座っている座席までわざわざやってこられた。「今朝朝早く起きて兼六園に行ってきました。ほんとに美しかったです。この瞬間に立ち会えで幸せでした」と言い、携帯で撮った写真を5-6枚見せてくれた。そこには雪つりに雪が降り積もった絵葉書になりそうな風景が収められていた。

 後日いただいたこれもまた知らない方からのお礼のメールでは金沢の雪の中の美しい姿を見ることができで嬉しかったです。と書かれていた。

 県外から来られた方は雪で足元が不自由であったかもしれないが、冬の金沢にこそ金沢の美しさの神髄があるのである。


 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2025年03月01日

北陸信越薬剤師学術大会


 中森です。

 北陸信越薬剤師学術大会は無事に終わった。シンポジウムにご出演いただいた演者やお世話になった先生から成功のお言葉をいただき業界紙など多くのマスコミにも報道された。

 日本列島を襲っている寒波は一向にその勢力を維持したまま22日の土曜日に突入した。乙田常務理事が薬局から除雪機を持ってきて除雪したというだけに会場周辺の雪はきれいに除けられていた。会場に15時半ごろ入る。ステージ上では設定を行っている。パソコンをネットにつなぎたいのだが、谷内事務局長は事務局で参加申し込みの受付処理を行っていてまだ会場には来ていない。受付の締め切りを提示しなかったのでこのようなことになってしまっているとみんなで反省する。直前になって参加申し込みが来るとは思っていなかったのである。

 17時30分開始のところ17時過ぎに局長が会場に姿を見せた。ネットにつなぐ許諾書とパスワードをもらい設定する。一度目は失敗した。どうしたのかと思ってよく見てみるとパスワードの文字に「 ] 」という鍵括弧のこの文字が指定されていることに気がつく。僕は「 I 」と入力していた。変更することでネットにはそれですんなりと繋ぐことができ一安心する。
 
 予定通りイントロダクションの動画が始まった。その時点で入ってきていない演者がいたのでドキドキするのだが開始までにはすべての演者がそろっていた。アメリカ組の現地時間は夜中の4時半や1時だ。ほんとに申し訳ないと思う。画像の背景は、リハーサルでお願いしたように国旗や現地の写真を映し出している。僕の背景は雪に埋もれた石川門にした。僕は最初の挨拶をすればいいだけだと思っていたので。挨拶後それまでの緊張と疲れからか眠気が襲ってきた。とても皆さん居住している国家の違いをあぶりだし興味深い話をしている。皆楽しそうだ。このセッションを心から楽しんでいると感じる。おそらく見ている方たちもそのように思っているはずだ。途中僕に司会者から振られる。何を答えたか覚えていないが、その後セッションは無事進行し終了した。

 東京から来られた某先生から飲みに行こうと誘われていたのに、終わってみると会場に先生は見当たらない。仕方がないので金沢大学病院から歩いて市街地の中心部まで約2km歩いて行くことにする。歩道は雪に覆われていた。そこに多くの人たちが通ったのであろう一本の踏み固められた道ができていた。その上を歩いていく。久しぶりの感覚だ。子供の頃はこんな道をとぼとぼと学校に向かい歩いたものだ。木々の枝に雪が白く張り付き美しい。成巽閣の横を通り坂を下っていく。石浦神社の赤く連なった鳥居がライトアップされ浮かび上がっている。なんて美しいのだろうか。そこには金沢の一番美しい時間が流れていることに気がつく。室生犀星や泉鏡花そして五木寛之たちが描いた世界が現実に見ているようで感動する。広坂通りまで来ると先生からSNSが入り駅前で飲んでるので来ないかと書かれていた。タクシーに乗り金沢駅前まで生き先生と合流する。

 その後の二日間とてもはずらしい時間を過ごすことができた。この記憶は7年前の日本薬剤師会学術大会金沢に匹敵する以上のインパクトを残した。多くの人たちからずらしかったとの絶賛の声をいただいた。何より陳情に行ったとき知事さんから自分で買ってくださいと、当初拒絶されたモバイルファーマシーであったが1900万円の予算を振り割れていただけるという事。そのことを馳知事さんの基調講演で発表された。感謝の気持ちでいっぱいである。能登半島地震を考えるシンポジウム。葦原海さんの苦労を乗り越えること。また生きるという事や生成AIについて新しい気付きを多くの人たちに与えることができたと主催者として傍観しそう思ったのである。

 多くのことを残してくれた素晴らしい大会が終了した。


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 関係者、演者、来ていただいたすべての人たちに感謝する。

 今日はそんなとこです。


 では




中森慶滋

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2025年02月15日

2days 4girls


 中森です。

 学術大会一週間前なので、あまり時間に余裕がない。ほんとのことを言えば時間に余裕がないのではなく時間とは作り出すもので、効率を上げていけば生み出すことはでき、これは精神的なものだ。
 でも本に関しては時間を作り読み続けた。村上龍の古書をBOOK OFFで買ってきて2週間で7冊読んだ。女の本質と、男の欲望、支配すること、されること、生きること、フェチ、不安や絶望など、あらゆるものの領域からサブカル的世界について深く考えさせられる。  

 結構難易度の高い人の生き方で小説は構成されている。

 昨日読んでて今も読んでいる村上龍氏の本「2days 4girls」から。

*-*-*-**-*-*

 でも、そういうときの君たちはきれいなんだよ、って言います。事実ですから。醜いのは君たちを見ている人々のほうなんだからねって言います。あの人たちは気づいていないが、君たちは気づいている。あの人たちは、虚しさと嘘で自分を塗りつぶして生きている。実は、可哀相なのは、裸のお尻を打たれる君たちではなくて、あの人たちのほうだ。あの人たちは自分が殻の中に閉じ込められていることに気づいていない。君たちは裸になることで殻を破ったんだよ、って言います。痛みがある。恥ずかしさもある。もう立ち止まれないし、後戻りもできない。そういう場所に君たちは立っていて、そしてどう?本当の自分に出会ったでしょ、ってぼくは女性たちに言います。みんなコンプレックスをお金で隠そうとしているんだよ。それだけだとあまりにも悲しいってことに気づこうよ。そういうのは本当の自分じゃないってことをきちんと言おうよ。

(略)

 三歳の頃からバイオリンを習っていたのだと初めて会う人に笑いながら言うようなタイプの女だった。

「2days 4girls」 村上龍著

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 今日はこんなとこです。

 来週は学術大会当日にあたるため、時間に余裕がないと思うので
 書かないか、すこしだけ簡単に書くか

 それとも、発狂しているかどれかだ。
 (やばい村上龍的表現だ)

 今日はそんなとこです。

 では


 中森慶滋
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2025年02月08日

北陸信越薬剤師学術大会 2025/2/22-24


 中森です。

 二週間後に迫った学術大会の石川県薬剤師会の運営委員会であるTQ制作委員会が詰めのエリアに入っていて議論も具体的な内容と活発になっている。参加者数も当初の目標を1割越えとなり、景気がいい。モチベーションも上がっている。石川県薬剤師会はどのような経験をするのだろうか。石川県薬剤師会の中の病院、大学、女性薬剤師会、若手薬剤師会などみな盛り上がっている。巨大な船にみんなが乗って目的地に向かっているいるようだ。いろいろ抑えどころに気を配っていたら自分の開会のあいさつの内容を考えるのをすっかり忘れていた。能登半島地震について語ろうと思う。
 さあ2週間後、石川県薬剤師会はどんな風景を見ているのだろうか。

 https://www.ishikawakenyaku.com/taikai/index.html
 特別講演を行う葦原海さん。
 https://www.youtube.com/shorts/osMzPhg4-80

 今日はそんなとこです。


 では



 中森慶滋
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2025年02月01日

天国へ行けるのは人殺しだけだ、とわたしは答えた。


 中森です。

 今週の雪はたいしたことはなかったが、とりあえず白くなった駐車場の雪を3日間除雪した。来週は今季最大寒波だ、雪を楽しめればいいのだが、生活の中に入り込んでしまうととても億劫になる。

 今週何を思ったのか村上龍氏の小説を読んでいた。これまで「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカーベイビーズ」をオンタイムで学生時代読んだのだがとりわけ深い印象はなかった。そんなときふとタイトルに惹かれて「イビサ」を買い読んだ。テレビ番組で美しいイビサの海が映し出すCMをキャノンは出しているのを思い出したから。

 読んでみて圧倒的なその衝撃は凄く、こんなDEEPな経験や考えを村上氏は知っていることに衝撃を覚えた。そういえばカンブリア宮殿の司会を村上龍氏はしているのも納得がいくと思う。

 小説家は特に女性になるとその人の経験値が大きく左右する。俗な言葉だとモテルかモテないかで小説の真実度は変わってしまう。ひどいことを言うかもしれないが女性は外観やスタイル、人生哲学(世の中(男の存在)をどのように考えているか)で済む世界が違ってくるからだ。Change your Body,Change Your Lifeはゴールド事務のスローガンだが、まさにそのことを女性は実感しているのだ。

 今日はいろいろ仕事が残っているので、学術大会や薬剤師会系の仕事をしなくてはならないのでこのへんにしとくが、僕はしばらく村上龍氏の本をBOOK OFFで買ってきて読み続けるのだろう。

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 鼻の骨が折れ両耳が半分まで千切れたスキンヘッドは、どうやったら天国へ行けるだろう、どうやったら神に嫌われなくてすむのだろうとクラックでどんよりと重くした瞳孔でわたしに聞いてきた。天国へ行けるのは人殺しだけだ、とわたしは答えた。フランス語で答えたのではない、そういうことを直接神経に伝えたのだ。対象はスキンヘッドにとどまらずアイリッシュ・バーにいた全員がお喋りを中断してわたしを見た。沸騰するクローム鍋をなぜわたしは何時間も眺めていたのかが自分でよくわかった。あの運動は、誕生と発生と消滅のメタファーだったのだ。わたしはまず相手に伝えたいことを言葉ではなくまた意味でもなく情景でもなくモールス信号のような、長さの違う波形の情報にして、それをクローム鍋の泡立ちのように相手の神経に吹きつける。波形の情報は、あまり細かいニュアンスをつけることはできない。

 天国・許可・殺人、この三つを波形にして、送ったわけだが、それは受け取る人によって恐怖が大きな比重を占めれば拒否が起きて理解不能となる。

「イビサ」村上龍著

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 今日はそんなとこです

 では


 中森慶滋
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2025年01月25日

指揮者のやることは、いかにピクチャー、絵を与えることが出来るかということ。


 中森です。

 来月の2月22-24日に金沢で北陸信越学術大会が開催される。参加者数は昨日で予定していた希望の数を超えた。ホッと一息である。各方面に働きかけ皆さん真摯に受け止め参加者を増やしていただいた。この場をお借りして感謝を申し上げたい。

 本大会のメインテーマを「Think QUALITY 私はこのように聞き視て考え そして活動した」とし能登の災害を中心として薬剤師の活動を総括すること、それによって浮かび上がってくる「生きる」ということについて語ろうというものである。
 https://www.ishikawakenyaku.com/taikai/index.html

 様々な困難を乗り越えてここまで来ることができた、石川県薬剤師会の事務局のスタッフをはじめとして、副会長、専務理事、常務理事、理事、支部長、日本薬剤師会、北陸信越薬剤師会、など今回に関わったすべての人たちに感謝を申し上げたいと思う。

 今回僕は新しい方向性を提示しシンポジウムを組み立てた。ZOOMで世界の薬剤師を繋ぎ薬剤師の未来や災害を討論するという企画を立ち上げた。世界で活躍する薬剤師(日本人)をどのように集めるかについて担当者に方法を提示したのだが腰が引けていてなかなかやろうとしない。業を煮やした僕はこの人はという薬剤師をWEBで見つけて来て、20名ほどにメールを出した。ほんの10日ほどの間で、多くの人たちがこの企画に共感していただいて11名が参加することになった。
 
 そんなときの僕の会長としての立ち位置はどうあるべきかという事について時々考える。能登の災害時もそうなのだがオーケストラの指揮者について先日の坂本龍一展で買ってきた坂本氏が書いた本に次のような記述があった。それを引用しようと思う。会長とはまさにこれなのだと納得したのである。

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 指揮/ピクチャー

 指揮にセオリーはない。一切ない。あんなに不思議な商売はない。指揮者のやることは、いかにピクチャー、絵を与えることが出来るかということ。オーケストラの連中が見ている絵より、大きなピクチャーを見ている指揮者のほうが素晴らしいと思う。

 ついていこうと思って、活気が出る。カルロス・クライバーがウィーン・フィルでやった時のエピソードがあって、指揮をする手が動いているんだけど、ウィーン・フィルの連中は、どこで音を出していいか全員わからない。「すいません、どこで音出していいかわかりません」「じゃあ、もう一度やりましょう」、そういってクライバーが棒を振るんだけど、また同じなんだって(笑)。何回やっても同じ。凄まじいよね。

 音を合わせるとか、リズム合わせるとかはオーケストラの仕事、勝手にやりなさいよ、というのがいい指揮者。音楽のピクチャーの分量が多ければ多いほどいい指揮者なんです。だから、クライバーとフルトベングラーは両雄なんですね。

 「skmt 坂本龍一とは誰か」坂本龍一著 後藤茂雄著

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 今日はそんなとこです

 では


 中森慶滋

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2025年01月18日

 音を見る 時を聴く


 中森です。

 昨日1月17日は坂本龍一氏の誕生日であると我が家の家族Lineに次男が書き込んでいた。その前の16日東京都現代美術館で開催されている坂本龍一展を日本薬剤師会の会議の合間に見に行ったことをLineにあげたためそのように書いたのだろう。

 「音を見る 時を聴く」をテーマに開催された坂本龍一展は高谷史郎氏のビデオインスタレーションで構成されていた。坂本氏が亡くなられてから今年の3月ではや二年が過ぎ去ろうとしている。その前の2022年の年末、これも次男から坂本氏のコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」がYoutubeで配信されるとの情報を聴き視聴料を払い見たのを思い出す。

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 「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」は、現在ステージ4のがんとの闘病中で、通常の形式でコンサートをやりきる体力がすでに残っていないという坂本が、1日数曲のペースで事前収録した演奏をつなぎ、1本のライブ映像になるように編集したオンラインコンサート。監督のNeo Soraをはじめとしたニューヨークから招集した映画制作チームが撮影を担当し、坂本が「日本で一番いいスタジオ」と太鼓判を押す東京・NHK放送センターの509スタジオで収録が行われた。https://natalie.mu/music/news/504938
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 東京都現代美術館にはちょうど半年前に近くのホテルで開催された日本薬剤師会の代議員会を傍聴した後に訪れたことがあることを思い出す。

 会場に入る。静謐な雨音と共に映像が巨大なスクリーンに映し出されていた。

 四角く縁どられたい黒い水盤に水滴が上から落ちてくる。水盤には絶妙なタイミングで波紋が現れそして消えた。

 ピアノが置かれている。坂本氏がピアノを弾く映像が映し出されている。そり映像がガラスで反射し自動再整ピアノに重ねられ、坂本氏が弾いているかのようなインスタレーションが現れた。

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 坂本龍一の「音を視る、時を聴く」ことは、鑑賞者の目と耳を開きながら、心を揺さぶり、従来の音楽鑑賞や美術鑑賞とは異なる体験を生み出します。坂本が追求し続けた「音を空間に設置する」という芸術的挑戦と、「時間とは何か」という深い問いかけは、時代や空間を超えて、私たちに新たな視座をもたらし、創造と体験の地平を開き続けてくれることでしょう。https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/
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https://www.youtube.com/shorts/CFNbfPwUatA

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 ソ連の映画監督アンドレー・タルコフスキーのノスタルジアの映画パンフレットの下に中谷宇吉郎氏の水と雪の研究した書籍が置かれている。

 今週の月曜日の祝日に石川県の片山津にある中谷宇吉郎氏雪の科学館に行ってきたばかりだったのでその共時性にハッとする。中谷宇吉郎氏は水の持つ不思議な性質に魅了され極寒のグリーンランドで研究中にその生涯を終えた。中庭に粒子を極めて細かくした水蒸気が噴出される。まるで雲の中にいるようだ。この作品は中谷宇吉郎雪の科学館の中庭でも行われていたものだ。

 そして坂本氏の代表曲の一つである映画音楽「シェルタリング・スカイ」の原作モロッコの作家であるポール・ボールズの本が置かれていた。その時、モロッコに行ってみたいと思う。


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 現代美術はこの世の中の目で見える景色、気温、光、もの、すべてが芸術であることを理解させてくれる。
 
 坂本龍一展では、さらに生活の中で聞こえてくる音は全て音楽であり芸術なのだと教えてくれた。

 

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今日はそんなとこです。



では



中森慶滋
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2025年01月11日

 白


 中森です。

 昨日、営業車のガソリンを入れている近所にあるガソリンスタンドの店長が会社の部長さんを連れて新年のご挨拶に来られた。部長さんはガソリンにかけられている税金について話されていた。
 ガソリンだけではやっていけなくなることを見越してか、この会社ではないが、ガソリン販売業を行っている会社は数年前から除雪事業を行うようになり、うちの薬局は価格と除雪体制を判断しこの会社に乗り換えた。
 
 そんなタイミングで今朝の日経新聞を見て驚いた。諸外国と比べ日本のガソリンの価格は異様に安いことがわかる。円高となっているにもかかわらずその開きは想像以上だ。

*-*-**-*-*-*-*-*-

 政府はガソリン補助金を1月以降も続ける方針だ。物価高対策の一環で国民の負担を和らげる狙いだが、2024年12月からの補助金の縮小を踏まえても日本のガソリン代は主要7カ国(G7)で米国、カナダに次いで安い。計上した予算は累計8兆円に達する。脱炭素に逆行するとの見方もあり、負担軽減とのバランスが求められる。
国際エネルギー機関(IEA)によると、24年11月時点の1P当たりのガソリン価格(ドル建て、税込み)はイタリアが1・866が(約289円)とG7で最も高い。フランス、ドイツ、英国も同水準だ。補助縮小後に185円の日本はそこから3割ほど安い。
(略)

順位 国名 ガソリン代(円/l)
1   イタリア  289
2   フランス  288
3   ドイツ    281
4   英国    266
5   日本     185
6   カナダ   171
7   米国    125

日本経済新聞1月11日 「日本、米カナダに続く安さ」ガソリン代G7比較

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 これまで22年1月より原油価格に対して補助を続け7度延長してきたというのがあるが2年後にはさらに25.1円のガソリン税に上乗せされている旧暫定税率を撤廃する合意がなされた。記事では補助は電気自動車への乗り換えコストを相対的に高めるとし、政府が旗を振るグリーントランスフォーメーションとのバランスが求められることとなるとしている。

 さて。
 ノーベル文学賞を受賞した韓国の作家ハン・ガン氏の詩のような本の文章を読んだ。韓国には行ったことがないので実感は薄いのだが、そこには「白」という深い文化があると思った。そしてこの本読み終わったとき新しい感性に触れた感じがした。WEBで日本の白の漢字を検索すると次の文字が出てきた。

 素 【そ】 染めてない絹。白絹。
 皎 【こう】 白くて清らかなさま。
 皓 【コウ・しろ】 しろい。白くかがやく。
 皚 【ガイ・しろ】 しろい。霜や雪などの白いさま。
 皙 【セキ・しろ・なつめ】 しろい。色が白い。なつめ。
 晧 【コウ・しろ】 しろい。白く光る。日の出るさま。

 しかしそれとはまた違った韓国の文化の中の白を彼女の文章から「白」を感じた。

*-*-*-*-*-*-*

「白く笑う」

 白く笑う、という表現は(おそらく)彼女の母国語だけにあるものだ。途方に暮れたように、寂しげに、こわれやすい清らかさをたたえて笑む顔。または、そのような笑み。

 あなたは白く笑っていたね。
 例えばこう書くなら、それは静かに耐えながら、笑っていようと努めていた誰かだ。

 その人は白く笑ってた。
 こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の何かと訣別しようとして努めている誰かだ。

「レースのカーテン」

 凍てついた街を歩いていた彼女が、とある建物の二階を見上げる。目の粗いしースのカーテンが窓を覆っている。汚されることのない白いものが私たちの中にはゆらゆら揺れていて、だからあんな清潔なものを見るたびに、心が動くのだろうか?
 洗い上げてきっぱりと乾いた白い枕カバーとふとんカバーが、何ごとか話しているように感じることがある。そこに彼女の肌が触れるとき、純綿の白い布は語りかけてくるかのよう。あなたは大切な人であり、あなたは清潔な眠りに守られるべきで、あなたが生きていることは恥ではないと。そして眠りと目覚めのあわいで、純綿のベッドカバーと素肌がさわさわと触れ合うとき、彼女はふしぎな慰めに包まれる。

「白い石」

 遠い昔に彼女は海岸で、白い小石を拾った。砂を払い、ズボンのポケットに入れて家に持ち帰り、引き出しに入れておいた。波に洗われ角がとれ、丸くすべすべになった石。中が透けて見えるほど白いと思ったけれど、透明ではなかった(じつは平凡な白い石だった)。ときどき彼女はそれを引き出しから取り出し、手のひらに載せてみた。沈黙をきゅっと固めて凝縮させることができたなら、こんな手ざわりだろうと思えた。

「すべての。白いものたち」ハン・ガン著

*-*-*-*-*-*-*-*

 「あなたが生きていることは恥ではないと。」
 「沈黙をきゅっと固めて凝縮させる」

 これってなんて素敵な表現なのだろう。


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今日はそんなとこです。


では



中森慶滋
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2025年01月04日

ハワイのナウパカ伝説


 中森です。

 今日から薬局再開の初日である。

 この一週間とてもゆっくりして、自分を回復することができた。HDに録画されていたプロフェッショナル仕事の流儀の「橋本環奈」を見て彼女を天才だと思い、NHKスペシャル「量子もつれ、アインシュタイン最後の謎」を見ていたが途中で寝てユヴル・ノア・バラリ氏の「情報とAI」を見て「人は一つの事実にこだわらず真実は二つあることを受け入れるべきだ」と理解する。「熱狂は世界を駆ける〜J-POP新時代〜」で「新しい学校のリーダーズ」を見てCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」を踊ってみた。

 1月1日には能登空港にある日本航空高校の体育館に行き、能登半島地震慰霊祭に出席してきた。能登に行くとき携帯のSpotifyが選曲した懐かしい椎名林檎の「ギプス」が流れてきた。昨日の朝、椎名林檎をウィーンフィルのニューイヤーコンサートの音声を消したテレビの映像が流れるというシュールな空間の中で繰り返し聞いた。「ギブス」「本能」「ここでキスして」「丸の内サディスティック」「罪と罰」。

 Yputubeのコメント欄に書かれていたコメントである。

「声を張り上げたときの、掠れた感じがギターの音色みたいですごいなって思う、この人の声は楽器だなあっていつも聞き惚れてしまいます。」

「林檎嬢の良さがわかっている自分はいいオンナと錯覚しがちなので、しっかりダイエットして締麗な言葉遣いを心がけて、「椎名林檎好きなの」って言った時に恥ずかしくない人間になりたいと思います。生きるモチベ!ありがとう林檎嬢!」

 墓参りをして、親戚の集まりにも出てきた。そして今年が始動した。

 本は相変わらず辻仁成を読み続け、中山美穂氏が亡くなってから「サヨナライツカ」「冷静と情熱のあいだ」などお正月休みの時間を中心に10冊を超えた。その中に「日付変更線 上・下」があった。

 第二次世界大戦、米軍には442部隊という最強の部隊があり、次々と敵を打ち破り、ヨーロッパ戦線でフランスの山間にある街ブリュイエールをドイツ軍から解放に成功した。今でもブリュイエールの街には442部隊を称える石碑が残されている。

 この部隊は日系人で組織されていた。米国に宣戦を布告した日本に対して、米国に住む日系人たちは米国に忠誠を誓い移民したものの米国での居場所がなかなか確立できなかった多くの日系人は、自ら志願して入隊した。その中で中心となったのは、真珠湾攻撃で多大なる被害を出したハワイから来た日系人であった。

 物語はハワイの日系人3人の数奇な運命により語られていく。その中にハワイの神話が出てきた。ハワイには花びらが半分しかない花が咲いている。その花の半分は欠落していて半円状に咲くという不思議な花があるという。


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 海辺に咲くビーチ・ナウパカと溶岩台地に咲くマウンテン・ナウパカなんだが、この二つの花はどちらも花びらを片側半分だけしか持たない。実際には持っているのかもしれないが、見た目には半分だけ咲いた不完全な花に見える。つまりたとえばコスモスの花を想像してごらん。その花びらの半分がない感じだ。不思議だが、そんな風に見える。誰かが恋占いでもして途中まで花びらをむしり取ったような感じ。この両方の花をくっつけるとやっと一つの花になるんだ。ハワイにはこの不思議な花にまつわる様々な伝説が残っているんだよ。

 「日付変更線 上」辻仁成著

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 ハワイにペレという女神がいた。あるとき永遠の誓い合った美男美女のカップルを見つけペレはこの男性に一目ぼれをしてしまう。ペレはこの男性を口説くのだが若者の気持ちは揺らぐことはなかった。このままでは二人ともペレによってハワイの溶岩で殺されることを恐れたペレの妹たちは姉から二人を助けることにした。

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 ペレの妹たちは一計を案じ、このハンサムな青年を溶岩流が決して届かない山頂の植物に変えてしまったんだ。鉾先を失った怒りのおさまらないペレは、沢は山の麓にいる若者の恋人を追いかけまわした。溶岩流の塊りが若い女を追いかける。ペレの妹たちは彼女を哀れに思い、姉から逃がすために、炎をも冷やす海に近い浜辺の植物へと変えてしまう。こうしてこのカップルは山の上と海の傍に離れ離れになってしまうんだ。

 しばらくすると、山に半分しか花を持たない植物が開花した。同じように海にも半分しか花を咲かせない植物が現れた。半分ずつの花びらを持った花が山と海に咲き誇るようになる。どのような力に邪魔をされようとも、その思いは引き裂かれない、と訴えるかのような、可憐で美しい花たち。ハワイの人々は、山と海のナウパカの花を合わせると、離れ離れの恋人が結ばれるだとか、天国では必ず魂が一つになる、と信じるようになる。

 「日付変更線 上」辻仁成著

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 それがハワイのナウパカ伝説である。WEBでナルパカを調べてみた。半分しか花びらがないナウパカは実際に存在していた。


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今日はそんなとこです


では

中森慶滋





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2024年12月28日

スクンビット ソイ2


 中森です。

 今日は仕事納め。朝簡単に雪かきをした。
 先々週は辻仁成の「海峡の光」について書いたのだが、中山美穂さんが亡くなられてから、前夫である辻仁成氏の本を、このところずっと7-8冊つづけて再読している。

 「サヨナライツカ」は映画になり主演女優は中山美穂氏で原作は辻仁成氏である。その中に次のような記述があった。舞台はタイのバンコクである。

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 沓子は一言の挨拶もないまま室内に上がり込むと、持っていたグラジオラスの花束をテーブルの上に放り投げ、そのまま窓辺に行くなり、1日窓から顔を出し、スクンビット通りから分かれたソイ1と呼ばれる路地の景色を一瞥した後、今度はカーテンを力任せに次々閉めていった。室内が次第に暗くなっていくに従って、豊のほうも記憶が蘇ってきて、あの時の彼女のまっすぐな視線を思い出していた。

 「サヨナライツカ」辻人成著

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 スクンビット通りという記述のところでバックパッカーをしていた頃の情景が一気に蘇ってきた。僕はスクンビット、ソイ2の安宿に滞在していたのだ。ソイとは小路のこと。ソイ2は二本目の小路を意味する。そこを拠点にトゥクトゥクに乗り親しくなった日本人などとタイの街に繰り出していた。

 バンコクを舞台に婚約者を東京に残した好青年が蠱惑的な女性に出会い翻弄される。バンコクの伝統ある一流ホテルオリエンタルホテルに住んでいるというその女性は軽い気持ちで彼に接したつもりだったのだが、そのうち二人は愛し合うようなる。そして別れと25年という年月を経てからの再会。それを読んでいた僕にタイの時間が蘇り、熱帯の灼熱の夜を思い出した。


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 女性には二通りのタイプがある、と東垣内豊は思う。
街角で確実に男たちを振り返らせるタイプの女とそうではないタイプ。前者が沓子なら、後者は光子である。しかし、と豊は会社のデスクで書類の整理をしながら小首をひねった。男を振り返らせる女たちは確かに何か動物的なフェロモンを発しているわけで、沓子よろしく魅力的だと言うことができるが、だからといって、そうではない女性と比べて、どちらが長い人生において最終的に意味を成すか、安易に決めつけることはできない。

 「サヨナライツカ」辻人成著

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 中山美穂は沓子を演じた。光子とは東京に残してきた婚約者である。

 今日はそんなとこです。


 では


 中森慶滋
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2024年12月21日

谷口吉生建築


 中森です。

 建築家の谷口吉生氏が亡くなられた。さすが地元紙である。今朝の北國新聞の一面トップを飾っていた。地元紙の評価はいろいろあるものの、こんな時に真価が発揮される。MOMA(ニューヨーク近代美術館)の増築が彼の設計によるものだという事は知らなかったが増築前のMOMAには一度訪れたことがある。1980年代の後半だろうか。


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 「増築によって複雑化した全体の整理をめざして、国際建築コンペを行い丸亀市猪熊弦一郎現代美術館や豊田市美術館などで知られる日本人建築家・谷口吉生の設計案を選んだ。建築総工費900億円を掛け増築され2004年11月20日に再オープンした。」(Wikipedia)

 金沢出身の谷口氏の建築は金沢にも多く点在している。鈴木大拙美術館や谷口吉郎・吉生記念金沢建築館何度も訪れその空間を楽しんだ。金沢の現代美術館である金沢21世紀美術館は妹島和世氏と西沢立衛氏で構成される建築家ユニットSANAAによって建てられた。この建築が彼らの代表作となり建築のノーベル賞ともいわれるプリッカー賞を受賞した。この建築を見るために世界中から建築家が金沢に来ている。そういう意味では金沢は現代建築の街でもある。


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 東京の銀座は世界一流のブランド品の個店やブランドのテナントで埋め尽くされたデパートが多く点在している。そんな界隈にユニクロやGUそしてApple Storeもある。

 銀座6丁目にGINZA SIX(ギンザシックス)という複合商業施設がある。ここは多くの一流ブランドと共にオフィスや、能楽堂などの文化・公共施設、などから構成されている。上部の階にはいろんなレストランがあるとともにTSUTAYAが本屋の店舗を構える。本を中心としたこの店舗の構成がすごい。この店舗は文化の発信とでも言うかのような切り口で美術書写真集などの中に小説、哲学書がばらまかれ相当の書籍の知識がないと構成できない本屋さんであることがわかる。ただしこのような本屋さんが成立するのは銀座という立地と客層に支えられるからで、1980年代に一世を風靡した六本木Waveのような存在感を感じる。

 六本木にあった西武セゾン系のレコードチェーン店WAVEは1983年11月18日開店した。日本ではじめて輸入盤CDを扱った大型専門店。ビル地下には、シネヴィヴァン六本木がありこちらも映画フリークをひきつける魅力的なラインナップで人気であった。ビル全体が、文化発信基地的な存在であり、東京の若者文化の重要拠点であった。1999年12月25日閉店し跡地には六本木ヒルズが建設された。

 GINZA SIXの店内の中心には広い空間がありそこを現代美術で空間を彩っている。ブランド品が中心なため来店者のステータスは高い。

 GINZA SIXを設計したのが谷口吉生氏である。


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 今日はそんなとこです。


 では



 中森慶滋
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2024年12月14日

お前はお前らしさを見つけて、強くならなければ駄目だ


 中森です。

 シリアのアサドは去らなければならないと2013年オバマ大統領は言った。それから10年以上たちアサドは去った。アサド政権はシャーム解放機構HTSによって倒されシリアの実験を握られ失脚した。
 しかしこれまでロシアがアサド政権を援助し続けていたという構図は崩れ、中東地域での新たな火種を抱えることになった。

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 イスラエルのネタニヤフ首相に近い政治学者ヨラム・ハゾニー氏は7日、X(旧ツイッター)への投稿でHTSを「 (国際テロ組織)アルカイダを源流とする怪物」と呼び、彼らが政権打倒に成功したことは「大惨事」だと述べた。
実際、HTSを明確に支持する中東の主要な勢力は、トルコのエルドアン政権だけだ。

 しかし、西側諸国の部外者たちがアサド政権崩壊を悔やむのは人道的、地政学的な理由の両方から間違っている。
アサド政権は恐ろしい政権がひしめく中東で恐らく最も残忍な政権だった。11年の内戦勃発以降、シリアでは50万人以上が死亡し、その犠牲者の90%以上はシリア政府と同政府と協力する国や組織により殺害された。
日本経済新聞12月13日 「残忍な独裁崩壊は歓迎だ」ギデオン・ラックマン著

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 この中でアサドに援助し続けたロシアがシリアから軍を撤退させたことはウクライナでの負担の大きさを物語っているという。ここではさらにいくつなの不安定となってきた情勢に触れている。

〇ハマスはイスラエル軍によって壊滅的な打撃を受けた
〇レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラもイスラエルとの交戦で弱体化した。

 「その結果レバノンのヒズボラがイスラエル軍との戦闘で弱体化したことが、回り回ってアサド政権が実はいかに脆弱だったかを露呈することにつながった。」と書いている。中東はアフガニスタンがそうであったように不安定化していく。

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 HTSは元アルカイダだが、アルカイダの発祥は、1980年代のアフガニスタンでソ連の占領軍と戦うイスラム主義のパキスタンやアラブの民兵団(聖戦士)で、彼らは最初からCIAなど米諜報界によって組織され、支援されていた。
 米諜報界は1990年代後半から、彼らを国際テロリストとして仕立て直し、諜報界が自作自演した911事件をアルカイダの犯行としてでっち上げ、テロ戦争の世界体制を作った。
 当時はイスラエルのリクード系が米諜報界を席巻し、中東で米イスラエルとアルカイダが長期に戦うテロ戦争の構図を作り、米国はイスラエルの利益のために恒久戦争を続けることになった。
 (リクード系のふりをした隠れ多極派のネオコンやタカ派が自滅的なイラク戦争などを起こし、この策を自滅させたが)
 アルカイダが弱まると、米諜報界は新たにISISを作り、テロ戦争の構図を維持した。
 こうした経緯を見ると、米諜報界のリクード系が、シリア内戦の負け組としてトルコ当局の傘下・監視下のイドリブで蟄居していたアルカイダ系のHTSを、イスラエルの傀儡勢力として「再雇用」し、イランが引っ込んだ直後のシリアに再侵攻してアサドを倒し、シリアをイスラエル傀儡の国に転換する策をやっても、何の不思議もない。
 アサド政権を倒した後、イスラエル軍がシリアに残っている兵器類をすべて破壊するのは、事前に計画されたシナリオだったと考えられる。シリアは軍事的に弱い、イスラエル米トルコの傀儡国として再出発する。

 「今後のシリアとイスラエル」
田中宇の国際ニュース解説 2024年12月12日 https://tanakanews.com/

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 さて、昨日、辻仁成氏の芥川賞受賞作「海峡の光」を20年ぶりに二度目を読んだ。

 斎藤は社会に出て船乗りとなるものの2年で辞め、刑務所の刑務官となる。ある時府中刑務所から一人の男が入ってきた。その名前花井を見て驚く。かって子供時代の同級生だったからだ。花井は優等生でクラスメートたちの人望も厚くみんなから慕われる存在だった。しかし彼の善意の行動がクラスの中で評判となるものの、斎藤を花井は嫌い徹底的にいじめられた。卒業後花井は国立大学に人生の勝組として人生を謳歌していくように思われた。

 斎藤には偽善に満ちた隠微ないじめを花井から受けたのだが、社会人となり立場は変わり絶対的な権限を持つものとして花井の生活を支配することになった。帽子をかぶり体格も子供時代とははるかに大きくなっていた自分を花井は以前の同級生の斎藤であることに気がついていないようだった。斎藤はそれを明かすつもりもなかった。

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 静まり返った舎房の、人の気配が感じられないその小箱の中で、うちひしがれて落ち込む花井。口許に笑みを浮かべ、視察口を覗くことの出来る自分の自由に、呪縛を解き放たれた者のみが持ちえる優越を覚える。私は好きな時に花井を監視できる。これほど単純なことにはじめて気がついて狂喜した。今の花井には私を拒む自由と権利はなく、私は彼を二十四時間見張ることができる地位にある。いつのまにか立場は逆転していたわけで、それが人生というものだ。この砂州の衝に残り、勤勉に生きてきた私の勝利に他ならず、監視とそが私の復讐である。この私の持てる権力を花井修に見せつけることこそが、幼少期に受けた無数の暴力と支配に対する返報である。

 「海峡の光」辻仁成著

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 しかし花井は刑務所の生活を理想の世界と思っているのではないかと斎藤は疑う。斎藤は絶対的な立場にある幼少期と逆転した状況が自分の勝利だと思うのだが、斎藤は花井を監視口から覗き込んだとき、自分名の目を疑った。支配をしているのが自分であるのという確信が揺らいだのだ。

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 果して花井は威風堂々と、房の中心に座していた。恐れた通り、花井修の存在は揺らぐこととなく屹立していた。周囲には、それまでにも増して均盤の取れた独居房の空間が広がっていた。花井修は四隅を完璧に制圧し、一分の隙もなくそとに君臨していた。

 白熱灯の光を頭上から受けて、彼の体は黄金色に輝いていた。刈りそろえられた頭髪の下で地肌が生々しく光を反射している。纏った舎房は袈裟のようにしなやかに彼を包み込み、あらゆるカルマから彼を自由に離脱させているような柔らかさを放っていた。視線は本の行の上を走り、そこに封じ込められていた世界の意味を黙読していた。真一文字に結ばれた口許は、しかし同時に力が自然と脱けきっており、固さと柔らかさが共存していた。その頭の先から肩を通り、組んだ両足の膝に至るまでの、宇宙の循環と合体したようなしなやかなフォルムに、私は思わず固唾を飲むほかなかった
 この瞬間花井修がわざと落第したことは明白となった。同時に、私は監視者を失格し、彼への報復にしくじった。
 花井修は小箱の中で大仏と化した。

「海峡の光」辻仁成著

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 昭和天皇がご崩御され多くの服役囚は恩赦をうけ出獄することが許された。その中に花井がいた。自分はここに残ることになるが花井は出ていく。そんな花井に肩越しに声をかけ、子供時代自分をいじめ絶対的な花井が自分に言ったのと同じ言葉「お前はお前らしさを見つけて、強くならなければ駄目だ」を言い花井を立場の違いから完全に打ちのめそうとそうとした。

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 「お前はお前らしさを見つけて、強くならなければ駄目だ」
と口走った。十九年前、函館桟橋で花井に言われた台詞だったが、言葉は心に、長いこと被いかぶさっていた戸惑いを俄に晴らしていった。同時に私の口許は勝ち誇るように緩み、肺が可笑しさで咽びだす。花井は光の中で一、二秒制止したままそんな私の顔を睨めつけ、無表情にゆっくりと眉根を集中させたのだった。
 そして冷たい風が私たちの狭間を吹き抜けた次の瞬間、
 「斉藤、偉そうにするな」
 と今度は花井修が突然大声を張り上げた。紙袋が落下したのと同時に、腹部から頭頂へ目掛けてゆっくりと熱い痛みが昇った。花井の肩が私の胸に寄り掛かり、その右手が私の腹部の中心深く埋まった。花井の残像を私は必死で追いかけたが、
 視界はぼやけていっそう輪郭は曖昧になっていった。そして、意識が周辺から狭まっていく中、私は声を聞いたような気がした。
 −分からんのか、俺はずっとここにいたいのだ。

「海峡の光」辻仁成著

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 三島文学を読んでいるかのような完璧な中に静謐さがあり人の心の奥底を除いてしまつたたような小説であった。


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今日はそんなとこです。


では



中森慶滋
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2024年12月07日

右岸


 中森です。

 今週から「右岸」という小説を読んでいるZOOM会議が今週は4日続いている。ジムに行く時間もなくやっと空いた昨夜、ジムに行き16.29kmをなんとか走ってきた。そのため読書に充てる時間がなかなかなく読み進めていないのと、この小説の導入部分での共感が少なかったためかなかなか物語に入り込めていないというのもある。「右岸」上・下と二冊ありその読後感によっては女性側の視点で書いた江国香織氏「左岸」 上・下を読むかもしれない。これは二人の共作としても知られる「冷静と情熱のあいだ」と同じで辻氏と江国氏が同じ物語を男性側と女性側に立って書いているという構成だ。

 「右岸」を描いたのは辻仁成氏、彼は最近しばし彼のバリでの生活を描いたBS番組のドキュメンタリーで目する。パリの人たちと食事を作り歓談し生活に溶け込んでいる姿に彼の暖かさと人柄に心が和む。そんな辻氏が同じフランスに暮らす一人息子のことをとても気にかけていることがとてもよくわかる。

 彼の書いた「海峡の光」は僕の読書歴の中でもベスト10に入る素晴らしい小説である。そのため僕の中で辻氏は最高ランクの作家として評価している。彼はこの小説で芥川賞を受賞した。

 昨日国会中継をラジオのNHKで聞いていた。臨時ニュースが入り国会中継は中断した。てっきり韓国の政治情勢だと思っていたら、中山美穂氏が自宅で死亡していたとの報道であった。

 中山美穂氏は全盛時、美人・モデル系女優として活躍しバブル時代ヒット曲を生み出し、その後の映画で素晴らしい演技を見せた。特に「サヨナライツカ」は印象に残る映画で、タイのバンコクに住む有閑マダムを演じていた。

 婚約者を日本に残しタイ駐在員として日本からやってきた若き日本人男性とマダムは恋に落ちた。

 WEBにあった読書メーターのコメントより
 「「死ぬ間際、君は愛した事を思い出す? それとも愛された事を思い出す?」 この一節を読んだとき今の自分なら愛した事を思い出すだろうなと考えたけど これから先なにが起こるかわからない。 バンコクの描写が良かったです タイは行ったことないけど南国特有の湿度や時折吹く涼しい風が感じられて良かったな 豊と沓子の4ヶ月に渡る白日夢 その別れから25年後の再開。 そして本当の別れへと… 沓子の最後の手紙は泣かせられました。 オリエンタルバンコク…一度いってみたいな 部屋はもちろんあの部屋で。」・・・「こぅ」さんの投稿 読書メーター

 この映画は小説「サヨナライツカ」が原作である。そしてこの小説を書いたのが中山美穂氏の元夫である辻仁成氏。フランスにいる一人息子の母親は中山美穂である。

 NHKラジオからなんだかとても素敵な歌声が流れてきた。NHKの音楽は番組の趣旨なのだろう昭和の歌謡曲がよくかかる。それも思いっきり古い戦後の歌なども。ある時とてもアンニュイで優しいものの、その人の考えがしっかり伝わってくるそんな歌声が流れてきた。今から半年ほど前のことである。これを歌っているのはだれ?と思い、曲が終わるときアナウンサーの声を聞き取ろうと耳を立てた。

 ただ今の曲は上白石萌音さんの「ダンデライオン」でした。

 それから僕はSPOTIFYで検索して上白石萌音さんの歌を聴き続けた。その中に彼女が歌う昭和のヒット曲のアルバムがあった。そして流れてきたのは「世界中の誰よりもきっと」ダンデライオンからSPOTIFYのアルゴリズムは中山美穂氏のこの曲を選曲した。

 この曲をなんども聞いた。そして感じたのである。中山氏が歌うこの曲は日本がバブルで沸き立つ絶頂期に注目を集めている美しい女性しか感じることがない波動を曲に乗せていて、それは実にキラキラと光った歌声であった。改めて中山美穂氏が生きたこの時代の空気を感じたのである。

 「世界中の誰よりもきっと優しい気持ちになる」この歌はその世界にいた彼女だからこのように歌えたのだと上白石萌音と聴き比べその時知ったのである。

https://www.youtube.com/watch?v=jrjBM0BnYeg

 こんな女性が選んだのは辻仁成。さすがだ。だてに女は生きていない。
 しかし2014年、二人は離婚した。

 辻氏は自身のSNSに、亡くなる前日に苦しんでいる中山美穂氏を励ますかのような内容のコメントを書き込んでいた。

 ぶっちゃけ
 苦手な人に好かれなくていいし
 頭ごなしのやつは無視だし
 敬意がない人に誠意は無用
 低く見てくるやつに尻尾ふらない
 嫌な感じがするなら迂回し
 神経は使わないのが原則
 周りに振り回す権利なし
 一緒にいると楽な人を大事に
 常に自分が幸せになる方向に
 苦しい時は休みましょう
 自分の人生


 今日はそんなとこです。


 では




 中森慶滋
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