2020年01月25日

塩一トンの読書


 中森です。

 今朝は天気が良いだけにその分とても寒く感じる。それにしても金沢の雪はいったいどこに行ってしまったのだろうか。無常の世界がわれわれを翻弄するのを理解すべきなのだろうがこの程度の異常気象は長い地球の歴史から見るとほんの微々たるものなのかもしれない。中国人のSF作家 劉慈欣が書いた小生「三体」は、これまでに何度も文明が栄え三つある太陽に惑星は翻弄され何度もゼロからリセットされるという世界だ。
 
 そんな不安を感じるよりも雪がない冬に感謝すべきなのかもしれない。

 今週須賀敦子の本を読んでいた。彼女の本はこれまで何冊も読んだことがあるのだが、この本はだいぶ前に買っていたものがそのまま読まずにおいておいたもの。須賀敦子の繊細な描写から、米国在住のインド人ジュンパ・ラヒリが英語ではなくイタリヤ語で書いたエッセイを読んだ時と同じイタリヤの空気を感じた。

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 そのひとつは、彼女が若いときにフロベールの書簡集に見つけれて、作品『アドリアヌスの回想』の出発点においたひとつの稀有な時間への、つぎのような言及につながるものだ。「神々はもはや無く、キリストはいまだ出ず、人間がひとりで立っていたまとない時間」一見、底なしの淵を思わせるこのことばをを読んだとき、私はユルスナールが書きたかったのは、純粋に人間的な時間、あるいはたとえなく小説的な時間についてだったにちがいないと自分流に理解した。

「塩一トンの読書」ユルスナールの小さな白い家 須賀敦子著

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 複数の国語のあいだをたえず往来しなければならない、翻訳という仕事にかかわった詩人の直面する矛盾が、行間ににじんでいる。それは同時に、現実と虚構という、ふたつの異なった世界を往き来する、すべての作家の苦痛と不安でもあり、さらに、究極の自己完成とは、わたしたち内部にある、異なった可能性のすべてを、忍耐ぶかく伸ばしてやる、複雑な作業なのだということを思い出させてもくれる。

「塩一トンの読書」『インド夜想曲』と分身 須賀敦子著

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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2020年01月11日

後藤さんの髪型


 中森です。

 昨夜タリーズで読んでいた本にのめりこめなくて早々と退散する。先週の日曜日はジムも行かずにコーヒーショップや自宅で朝三時間、昼二時間半、夜三時間半と本を読み続けるという暗い休日であった。ところが昨夜は一時間程度で本を読むのをやめてしまった。その後本屋に行ったものの、どれも昨日の夜の僕の感性に合わず何も買うこともなく帰ってきた。こんな日もあるのだ。

 今朝のサワコの朝には後藤久美子さんがゲストとして出演していた。まだ若い23歳の絶頂期に結婚を機に引退した往年の大女優。そんな彼女を阿川佐和子が絶妙な会話でほぐしていく。子役から女優として一時代を築いた風格と存在感を漂わしながら後藤久美子さんから漏れ出た本音として結婚生活そして子育てと人として回帰させられた素敵な人生を海外で歩んできたそんな時の流れを彼女は語った。ただ一点だけ気になることがあった。髪型である。微妙にアンバランスになっているのだ。髪の長さは良いとしてもそのスタイルと髪の色に、美少女で売り出していた時代とは違い、現在の自分の存在を23年というブランクを埋めてどんなキャラとして再び世に出ればいいのか測りかねているようなそんな印象を受けたのである。

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2020年1月11日のサワコの朝に出演した後藤久美子さん

こっちの方が自然体で素敵ではないだろうか。

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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2020年01月04日

多様性

中森です。

 年末年始、あわただしく過ごす中で空いた時間は本を読み続けた。
 昨年末に書いたこのブログの「ナラティブを実装する」と全く同じ意味で、2019年12月30日に出版された佐々木俊尚著の「時間とテクノロジー」に「ナラティブ」という言葉が結論に使われていた。

 「過去も現在も未来もそこにあり、すべての物語を私たちは生きて、感じるのです。選択の余地があることが自由ではなく、過去も現在も未来も、他者も機械も外界もすべてを全身で感じ味わい、生きられるということに自由というものの意味は変わります。 すべては目の前にある、それらと善き関係をつくり、ともに「共時の物語」を紡げるかどうかは、あなた次第なのです。「時間とテクノロジー」佐々木俊尚著」

 正月の朝日新聞に福岡伸一氏とブレイディみかこ氏の対談が掲載されていた、テーマは多様性。多様性についてはラグビーのジャパンの多国籍のメンバーを思い出せばイメージしやすいかもしれない。ちょうど彼女の話題のエッセイ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を奇しくも年末に読んだのでこの対談は引き込まれていった。

 アイルランドの夫と結婚したみかこさんは、その間に生まれた息子とロンドンの南の街ブライトンに住む。小学校は私立の教育水準が高い学校に通わせていたのだが、中学校になり近所の公立のかって最底辺レベルをさまよっていた学校に通わせることにした。そこで息子は様々な底辺の労働者階級にいる同級生に差別、格差、分断のなか翻弄されていく。労働者階級の友人たちと学校生活を送り、思春期に入った息子は日本人としてのアイデンティティーを考えるようになる。

 僕はイギリスの労働者階級の反乱の結果生まれたとされる『ブレグジット』の本質をかすかながら理解できたような気がした。そして日本の社会に多様性が入り込んできた時の生活を思い描いた。


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 あのとき息子はこう言ったのだった。
 「クール。うちの家庭も本物(オーセンティック)だと思っちゃった」「え?」「いろいろあるのが当たり前だから」

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 ブレイディみかこ著

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 そして昨日から新聞の書評で高評価を得ていた中国最高のSF小説「三体」を読んでいる。ここで問題が一つだけある。登場人物の名前から性別を判断できないのだ。「葉文潔」「楊冬」が女性であるとどうしてわかるのだろうか。さすがに出版社はこれではたいへんであろうと思ったのか本には登場人物を記してある栞をはさんであった。それを机におきながら何度も何度もそれに頼っていた。笑


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 今日はそんなとこです

 では

 中森慶滋
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2019年12月21日

ナラティブを実装する


 中森です。 

 村上春樹が「1Q84」を発表したとき、オウム事件について村上氏は次のように語った「現代社会における『倫理』とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた」。そして、「大事なのは売れる数でなく、届き方だ」ということを強調し、「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている」さらに「インターネットで『意見』があふれ返っている時代だからこそ、『物語』は余計に力を持たなくてはならない」などと持論を述べた。
 
 10月に発行された雑誌Wiredは村上氏が語った『物語』つまり「ナラティブ」がテーマである。

 人類がナラティブの想像力/創造力から逃れることはないだろう。そこに人生の意味や世界の摂理を見いだそうとするのは「人間を人間たらしめる営為」そのものだからだ。と前置きを言い16歳の少女グレタ・トゥーンべリが世界を動かすナラティブの力を示した。

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 地球温暖化を止めるアクションをいますぐ起こすべきだとスエーデンの国会議事堂前で座り込みを始め、いまや世界的なクライメートアクションの旗振り役となった16歳のグレタ・トゥーンベリは「わたしたち子どもがこの問題を解決するのは不可能」だと、混乱を作り上げてきた張本人である大人たちに行動を促す。その矛先は、国連やダヴォス会議や各国議会で、したり顔で頷き理解を示す政治家たちだけじゃない。いますべての大人たちに問われているのは、そこで語られてきたナラティヴを実装する力なのだ。

(略)

 #FridaysFor Future,始動

 気候への負荷を減らすために、トゥーンべリは12歳で肉を食べるのをやめ、飛行機に乗るのをやめた。地球温暖化に対する不安が一因でうつ状態となり、学校に行かない時期もあった。18年の夏、スウェーデンに熱波と森林火災が広がったときにも、強い危機感に苦しんだ。

(略)

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、18年10月8日に悲惨な見解を発表している地球温暖化を産業革命前の水準から平均1.5℃の上昇までに抑えられなければ、森林火災、洪水、大規模な食糧不足が発生する可能性が高いというのだ。IPCC共同議長ジム・スキーは「1.5℃の壁を超えるのは早くても2030年」という言い方をした。メディアはこれを受けて「」地球を救うのに残された時間は12年だ。」と報じているが、スキーいわくIPCCの報告書があくまで述べているのは、1.5℃の地球温暖化が進むのは2030年から2052年の間のどこかだということだ。そうなれば穀物生産の家畜の飼育も気温上昇の影響を受け、食糧不足と貧困につながる。
「WIRED Vol.34」


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 トゥーンべリはこういった「大勢の政治家たちが、気候変動の危機をどう消化するか訊いてきました。それっておかしいと思います。解決策があるとか決定権をもちたいとかそういう意味でストライキをしてるんじゃないのに。たた言わなきゃいけないことがあるなんです。子どもなんだから、わたしたちがこの問題を解決するのは不可能です。かといって、大人になって責任者になれるまで待つわけにもいきません。そのときにはもう手遅れだからです。
「WIRED Vol.34」」


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 「ナラティブ」という言葉は、多くの場合、「物語」と訳される。「物語」を英語に訳すと「ストーリー」となる。ではナラティブとストーリーどう違うのだろうか。医療現場でこれまで比較的よく使われてきた「ナラティブ」という言葉の意味するところとはつまりこういうことだ。

 ストーリーには始まりと中間部、終わりがあり自己完結する。一方、ナラティブは開放型で、結果は定まっておらず、物語が進行し始めてその中に存在する自分が関与することで自分の決定や行動によって変わる。ここでナラティブによって生み出される結果を作用するのは自分自身であるということだ。自動車メーカーは車を開発することで車のストーリーを人々に与える。いざ車を手に入れた人はそこから自分だけの物語が始まるのだ。

 グレタ・トゥーンベリさんの行動は日本の子どもたちの共感を呼ぶことになる。

(いま子どもたちは)未来を守るために:1 グレタさんに共感、歩き出す
 「Save the Earth! 地球を守れ!」「Save the Future! 未来を守れ!」 朝日新聞 2019年12月15日
 6日午後、浜松市の中心部に、制服姿でデモ行進をする若者たちがいた。浜松開誠館中学・高校の生徒たち。気候危機の深刻さを訴え、対策と行動を求める「グローバル気候マーチ」だ。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14295223.html


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浜松市内を行進する宮田小町さん(右から2人目)ら浜松開誠館中学・高校の生徒たち12月6日浜松市


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東京・新宿であった「グローバル気候マーチ」で歩く若者たち11月29日

 村上春樹氏の言葉が再び意味を増すことに気が付くのだ。

「インターネットで『意見』があふれ返っている時代だからこそ、『物語』は余計に力を持たなくてはならない」

 今日はそんなとこです

 では

 中森慶滋
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2019年12月14日

DNAモンタージュ


 中森です。

 ここ師走に入り、いろんなものが動き出しているというか、変化の時期を迎えているというか、そう思ったならば自分自身も変わらなくてはいけないのかもしれないと思うのである。

 今週一番驚いたのは人の顔はDNAによって決められているということだ。そんなことはないだろうと思う人もいるだろう、一般的には顔とはその人が経験した足跡による人生の表現であると考えられているからだ。
 しかし親兄弟そして双子が似ているの見て、それは遺伝子によるものだと日常で遭遇することも事実である。
 
 「DNAモンタージュ学」というのがあるそうだ。米国では現実に犯人を特定するための捜査に生かされているという。これまで犯罪現場でのDNAの採取の目的はDNAの配列を比べ特定するものであると思っていた。ほんのわずかなDNAがあれば犯罪者のDNAのデータベースと照合することが出来るからだ。しかしこの「DNAモンタージュ学」ではDNAからその持ち主の顔を浮かび上がられることが出来るのだという。

 アメリカのパラボン・ナノラブズ社が開発した最新の技術では、DNAの情報からヒトの顔を再現することが出来るため米国の犯罪捜査は格段に進化したという。米国警察はDNAから再現した顔写真を公開し、市民から寄せられた情報を基に犯人は逮捕された。

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 この新しいDNA解析は、捜査を百八十度変えました。私たちは容疑者としてヒスパニック系の男性を探していましたがこの解析が描き出した犯人は青い目の白人で、私たちが捜していた人物プロファイルとはまったく別の属性を持っていました。この新技術がなかったら、私たちは今でも犯人をさがしていたと思います。被害者の母親と祖母に電話して、犯人逮捕の事実を伝えることができたあの日のことは、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていますよ。それはそれは感謝してくれました。

「シリーズ人体 遺伝子」 NHKスペシャル「人体」取材班

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 こんなことを書かれてもそんなはずはないと思う人も多いだろう。そう思われた方はこの本を買って読んでみてほしい。科学技術はすでにとんでもないところまで進んでいるのだ。

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 俳優・鈴木亮平さんのDNAから再現された顔。
 https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_967.html



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 今日はそんなとこです。

 では

 
 中森慶滋
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2019年11月30日

11月27日 改正薬機法成立


 中森です。

 先週の富山出張には新幹線で行った。会議を終え金沢に再び戻って来た時、フォーラスのタワーレコードに行き4枚組の古いジャズのコンピレーションアルバムを買った。この4枚はそれぞれ四季をテーマとして、春、夏、秋、冬とそれにちなんだJAZZの名曲の中から曲が選ばれている。春はSpring Can Really Hang You Up Mostをズートシムズが演奏していたり、ビルエバンスのSpring Is HereやべーシーのApril In Parisなどが心にしみる。そしてボサノバが中心の夏に移り、秋にも素敵な曲が多い。タイトルにAutumn In New YorkなどAutumnがタイトルに使われているのが多い中でSeptember Songといいう曲もが収録されていた。「9月から12月まではあっ言う間に過ぎ去っていくね、日も短くなっていくしね。この短くなった時間を君と一緒に過ごしたいな。」という歌詞。天才クルト・ワイルの作曲だ。ときどきひょっとするとこの歌詞の意味は人生の秋を意味しているのではと思うときがある。秋になると無駄にする時間はどんどん少なくなっていく、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味もあるのかもしれない。秋がテーマのCDに収録されている曲は、季節が深まって行くなか二人の恋も深まっていくという歌詞が多い。

Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November
And these few precious days I’ll spend with you

 今朝、車の中でかかっていたのは"Winter”のCD。二曲目にNat King ColeのThe Christmasがかかった。なんという思いがけない選曲だ。その瞬間車の中は透明で透き通った空間に置き換わってしまった。そろそろクリスマス。僕はクリスマスソングの中でこの曲が一番好きだ。


 11/27に薬機法が改正された。

 厚生労働省提出の医薬品医療機器法(薬機法)の改正案が27日、参院本会議で賛成多数で可決され、成立した。薬局関連では薬局の新たな認定制度や服薬期間中のフォロー義務化などが盛り込まれている。薬局に関する部分は2段階で施行される予定で、服薬期間中のフォロー義務化などについて厚労省は、来年秋の施行を目指す。審議過程では地域連携薬局と健康サポート薬局の違いを問う声が何度も上がるなど、円滑施行に向けた課題も残る。
Phrmacy News Breakより一部抜粋
http://pnb.jiho.jp/tabid/68/pdid/24319/rtab/37/Default.aspx?keyword=

 改正薬機法では「専門医療機関連携薬局」「地域連携薬局」オンライン服薬指導などが新たに規定された。日本薬剤師会は、「令和の新しい時代の要請に的確に応えられるよう、大きくその視点を転換する内容となったものと受け取り、今後も地域住民・患者への全ての医薬品の適切な提供に積極的に取り組んでいけるよう、さらに努力していく」との見解を発表した。

 我々薬剤師は今回の改正についてはそのような認識だけれでいいのだろう。しかし2019年という激動の時代この薬機法の改正のほんとの意味は別のところの領域でひそかに始動し始めたのである。それが今回の薬機法の改正の大きな目的なのだ。これは朝日新聞に小さく掲載された。

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AI医療機器対応、改正薬機法が成立

 がんの診断時などにAI(人工知能)が治療で集めたデータで性能を向上させていく医療機器の開発が世界的に進んでいる。27日改正医薬品医療機器法(薬機法)かせ参議院本会議で可決、成立しAIを使った医療機器に対応した新たな承認制度を加える条文が盛り込まれた。現行では、性能が変わる度に改めて審査を受けなければならない。新制度は変更のためのデータが集まる前にあらかじめ計画を示し事前確認を受けることで、計画通りの変更であれば原則届け出だけで済む。
(略)
 発売後に性能が向上するAIを使った医療機器の開発が見込まれている。

2019年11月29日朝日新聞

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 これは今後の医療機器が開発されていく中でAIの機械学習に対応できる法整備であることを意味する。開発者が想定した結果以上のことをAIが学習して結果を出してもよくなったということなのである。

 次の時代への法整備が徐々に進んでいくようだ。

 今日はこんなとこです。


 では

 中森慶滋
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2019年11月16日

デジタル・ミニマリスト

 中森です。

 「デジタル・ミニマリスト」カル・ニューポート著 という本を昨日半分まで読んだ。
 
 先日、日本薬剤師会の委員会に出席するため会議の前の晩からホテルに泊まった。朝、ビュッフェで簡単にハムと卵とサラダをとりわけ、席について食べようとした。しばらくして隣の席がなんとなく異様なことに気がついた。
 
 ホテルの朝食では朝の貴重な時間を食事とともにこれから始まる一日について会話を持つのが朝の光景だろう。そんな情景は小説や映画でも描かれる。しかしそんな朝の様子が最近変わってきているのである。

 隣の欧米の白人夫婦。二人ともスマホをずーっといじっていて会話がない。時々顔をあげるときは食事を口に運ぶとき。別の日には白人の男性がずーっと英語でしゃべっていると思ったら携帯の動画電話で画面を見ながら話していたこともあった。テクノロジーが生活の中に入ってくるということはこのようなことなのだろうか。そのために失ったものは多いのではないだろうか。

 南国の海辺のヴィラでの朝食、海から波の音が聞こえ鳥のさえずりが聞こえる。プルメリアの花が風と共に足元のプールに落ち浮かんでいる。それを拾い上げコーヒーカップにそっと置く。南国のコクの強いコーヒーの香りと花の香りが朝の新鮮な空気とまじりあうなか、取れたてのフルーツを食べる。

 待ち合わせの時や電車の中でスマホを見ていない人を探すほうが苦労するだろう。ほんのわずかな空いたほとんどの時間、気が付かずに我々はスマホを見ているのだ。

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 「こいつはスロットマシンなんです」インタビュー開始からまもなく、ハリスは自分のスマートフォンを持ち上げてそう言う。
 「スロットマシン?どういう意味でしょう」クーパーが訊き返す。
 「携帯をチェックするのは、”さあ、あたりは出るかな”と期待しながらスロットマシンのレバーを引くようなものだからです」

 「デジタル・ミニマリスト」カル・ニューポート著 

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 少ないほど豊かになれるというミニマリストの概念はスマホにも当てはまるのだろうか。会議でも僕はスマホが震えると見てしまう。大事な要件であるかもしれないからだ。また会議の内容を調べるためにスマホをいじっていることがある、しかしこれは出席者からは遊んでいるのではないかと思われることを想定しつつあえて触っている。

 FacebookやLine、Instagramを見る時間を減らしてそれに振り回されないよう自分を高めるひとりの時間を作ろう、というところまで読んだ。ミニマリストという概念はデジタル社会において有効なのだろうか。これからますます増えていく様々で高度な情報の波を取捨選択して生活に生かしていく必要はあるだろう。しかし確かに最近めっきり見なくなったFacebookやInstagramのようなSNSは近い将来何か別のものにとって代わるような気がする。コミュニティーの生活の開示は知らなくてもいい場合が多いのだ。

 それよりも自分の一人の時間を大切にした方がいいということはとても共感できるのである。


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 今日はそんなとこです。

 では


 中森慶滋
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2019年11月09日

Yesterday

 中森です。

 先日古くからの友人が講師を務めている金沢大学オープンキャンパスの「ビートルズ大学」を聞きに行ってきた。お客さんが来るまでの間映画イエスタディ―について彼が語ったYoutubeを彼と一緒に見ていた。この映画は10月の中頃僕も見に行ったのだ。その翌日映画のJohn Lenonシーンを探した。映画のセリフは誰かが起こして載せているはずだと直感で思ったからだ。なかなか見つからない。検索ワードをいろいろ試してみる。やはりこういうのは期待しても僕がそう思っているだけで、現実はうまくいかないものだと思った。


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 鳴かず飛ばずのシンガーソングライターであったジャックは自分の歌で世界を変えるという夢を持ち続けていた。そんなある日原因不明の停電が全世界を覆った。その時ジャックは交通事故に遭い、意識を失った。再び目覚めた時、その世界ではジャックを除いて誰一人として「ビートルズ」を知らないことに気が付く。ジャックはパラレルワールドに迷い込んだのだ。ジャックが何気なく友人たちの前でイエスタディーを歌う。みな素敵な歌だと驚く。ジャックはビートルズが存在しない世界でビートルズの曲を歌いスターへの階段を上っていく。





 彼が絶頂を極めていた時、二人の使者が彼の前に現れJohn Lenonはここにいると言い住所を書いた紙を手渡す。彼は車を走らせJohn Lenonのもとへと向かった。

 あきらめかけたころ「shiotch7 の 明日なき暴走」にそのシーンのセリフが載っていることを見つけた。https://blog.goo.ne.jp/shiotch7/e/c718b768f917d7b5b0803595779dac71

 
Jack: John?
John: Yeah?
Jack: Have you had a happy life?
John: Very.
Jack: But not successful.
John: I just said very happy. That means successful. Did a job I enjoyed day after day. Sailed the world. Fought for things I believed in, and won a couple of times. Found a woman I loved. Fought hard to keep her too. Lived my life with her.





 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2019年11月02日

10月27日日曜日の午後

 
 中森です。
 
 先日の27日日曜日に金沢マラソンに出場した。結果は多少前回よりも早くゴール出来たものの5時間41分の惨敗。この時間の意味するところを試合が終わってからいろいろ考えた。達成感は全くない。レースに出る前スポーツジムでハーフを2時間19分で走りこれで行けると思っていた。その後開催された金沢ロードレースの10kmでも手ごたえを感じていた。しかし現実は僕の前に大きな壁として立ち現れたのである。

 空が急に曇りだし土砂降りのあめが降り出したこと。足が冷えたのか足がつりそうになり、最悪のコンディションだと思ったこと。35kmすぎでは僕にはそもそもフルマラソンを走る能力はないのだと考えながら走り、これが最後のフルマラソンにしようと思ったこと。ついに走ことが出来なくなり歩き出したこと。歩いたことで能登のマラソンと同じではないかと挫折感に支配されたこと。40kmを過ぎ「誰だあと二キロ足したやつは。」と思い42kmのラインを超えた時あと残り195m。この距離に意味はあるのかと思ったこと。

 一週間たった今は野田山あたりで坂道を走る練習をして、加賀温泉郷マラソンに出れるかなと思っている。僕がフルマラソンを走り分かったことについて書いてみよう。

 5時50分に目覚ましが鳴り起きた僕は、早速バナナのサプリメントを体に入れる。前日は炭水化物を中心とした食事を普段より多めにとった。10月6日に出場した金沢百万石ロードレースの10km走では5分45分ぐらいに初速度を設定したのであるが、今回はもっとゆっくりスタートしようと思う。

 能登のマラソンで足をつり歩くことすらできなかったので足の痙攣を抑えるという水なしでも飲める芍薬甘草湯のゼリーをウェッブで取り寄せウエストポーチにしまい込む。一週間前から芍薬甘草湯は寝る前には飲んでいた。ビタミン剤を飲みミネラルを摂る。ランニングの服装に着替える。アシックスの派手なショッキングオレンジのシューズを履き家内の車に乗り込む。香林坊の交差点で車を降ろしてもらい中央公園まで歩いていった。

 13000人参加の巨大なイベントであるだけに集まっているランナーの数が途方もなく凄い。トイレに何回かいく。緊張しているわけではないのだが今のうちに少しでも尿意があれば出しておこうと思ったのである。みんな楽しそうでなにかのイベント会場にいるみたいだ。各人それぞれの目標なのだろうかゼッケンナンバーにアルファベットが併記されている。僕のアルファベットはJ区分。確か5時間代で完走レベルで登録したからなのだろう。更に遅いKグループというのもあることを知り6時間台の設定グループなのかなと思う。僕は今回6分20秒で維持して4時間台でハーフまで行く。その後は足がつらないことを祈りとにかく完走を目指すこという計画だ。

 セレモニーで招待者が紹介され市長さんなどの挨拶が場内に流れる。Jグループはスタートラインから遠く大和に沿った道のはるか後ろあたりで皆聞いている。スタートのピストルの音が聞こえた。現実感が全くなく、遠くの出来事のようだ。10分ぐらいしてやっとぞろぞろとみんな歩きだす。この分のロスは制限時間から引かれてしまうのでこのグループの実際の制限時間は6時間45分程度ということになる。とにかくそんなことは気にせずになるようになるだろうと思う。スタートラインでは山野市長などのゲストが手を振っているのを見ながら、イヤフォンからはベートーベンの第9を流しだした。荘厳な感じに物語のはじまりを感じる。

 初速度を見てみる。周りに合わせて走っているつもりなのだがみなはじまりのせいか速いペース5分前半だ。冷静になれと思いペースを落とすことにする。6分台にしたとき石川門が見えてきた。着物を着て和傘をさした女性たちが手を振っている。「美しい街金沢」を感じる瞬間だ。尾張町を抜け金沢駅前の鼓門を見ながら再び香林坊方面へと進めていく。まだまだランナーたちは前後していて自分のペースを探りあっているという感じだ。

 片町にある親戚のお店の前にはみんな応援に出ているのがわかる。「頑張れー」と言われる。5kmを過ぎ最初の難所広小路から寺町に上がる坂に差し掛かる。序盤のせいかまったく苦にならない。能登のマラソンに比べたらこんな坂たいしたことないなと思う。泉が丘通りで、ほぼ同じペースのランナーたちに囲まれ順位は安定しだす。とても気持ちがいい。ついに僕は金沢マラソンに出場したのだと実感がわいてくる。

 円光寺を過ぎ窪から山側環状道路に入る。もう少しでこのマラソンの最高高度に達する。あとは下りと後半の平坦な道に入るのだ。時間は6分20秒を示しているのを見て順調だと思う。景色を楽しむ。母が眠る野田墓地を横にみながら走りぬける。母が語り掛けてきた。その声を聞きながらトンネルを抜ける。

 二つ目のトンネルをくぐった時、杜の里の景色がパノラマのように広がった。美しい瞬間だ。兼六園の脇を走り、金沢駅鼓門見て香林坊と片町からここまで来た。この景色を僕は自分の足で手に入れたんだと思う。それからは細い道を走りながら再び兼六園下まで来た。浅野川を渡り東山を抜ける。

 そろそろ20kmというとき体が多少重く感じてきた。栄養ゼリーを早めに飲むことにする。ハーフを過ぎる。エイドではラーメンを配っているのだがそんなものよりチョコレートが欲しいと思う。ウエストポーチに入れておいた塩のアメを舐めながら走った。疋田から鉄道の線路を下にくぐる。たいした坂でもないのに上りがきつい。しばらく行くと雨が強くなってきた。高速度道路を下にくぐろうとしたとき大粒の雨が降ってきた。土砂降りである。全身雨の洗礼を受ける。アンダーシャツやタイツそしてランニングシューズが重たくなる。汗を外に出すためにこれらの素材は通気性がよくできているのだが、撥水性は全くないため逆に雨水を吸ってしまって全身を水に包まれているような感じになった。暑いよりいいだろうとポジティブに考える。しかしそのうち筋肉が硬直し始めた。ゼリーの芍薬甘草湯を飲む。部分的に足が痙攣している。ところが薬のせいか筋肉の緊張は広がらない。薬剤師会の乙田先生の薬局の前には乙田先生が応援に出ていて、「やあやあこんにちは」とさも何もないように歩いて行ってあいさつをする。しかしその時はすでに6分ペースはおろか7分ペースに後退していた。

 「歩くな、歩くな」と思うのだが、エイドでアクエリアスを飲んでからは全く足が上がらなくなってしまった。川沿いを半ば早歩きで歩いている時3人ほどで走ってきたペースランナーに抜かれる。彼女たちは目立つように5時間30分を示す風船をあげながら走っていた。13分ほどの遅れのスタートなので実質的には5時間17分かと思う。
 
 そしてそれから僕は巨大でネガティブな精神状態に支配されていった。35kmを過ぎた時僕にはフルマラソンを走る能力はないのに参加してしまったこのこと自体が間違いであったのだと思う。そんな僕はハーフしか走る能力はないんだと思う。今後はハーフは出てもいいかなと思うのだがフルはこれでもう出るのをやめようと思う。土砂降りにあわなければもう少し走れたのかもしれないと思う。いやそれは思い上がりだ、などさまざまな考えが頭を巡る。絶対歩かないと決めたのに心が折れてしまったことに情けないと思う。僕はなんでこんな苦しいことをしようと思ったのかと後悔する。時々走ろうとするのだが走っても足が上がらない。
 しかし満面笑顔で「頑張れー」と言ってくれた知らないおばあさんの顔が嬉しかったこと、エイドでもらって飲んだコーラがほんとにおいしかったことを思い出す。

 これが初心者の30kmの壁なのかと思う。能登のマラソンで記録が制限時間ぎりぎりで完走したのは足をつって救護所で休んでいたせいにしてしまっていた。今回は違う、足は部分的な痙攣はあるのだがまともに走れないのである。そう思っている間に僕よりシニアのランナーに抜かれていった。

 ゴールとなる競技場の巨大な照明が目に入る。やっとここまで来たのだと思う。最後の競技場に入る前のストレートで「おかえりなさい」と声をかけられた。せきを切ったように巨大な涙が流れ出す。感情は崩壊しそうだ。走り続けてゴールをすれば何かが変わるかもしれないと思ったことも事実だ。そんな達成感がきっと待っていると信じ続け練習をしてきた。競技場に入る。野口みずきさんとハイタッチするのだがなんだか情けない。こんなレベルのランナーをマラソンで頂点を極めた人に同じ種目に出場していることすら恥ずかしいと思う。山野市長がいらっしゃる。帽子をとっハイタッチをする。そしてゴール。達成感は全く訪れなかった。ゴールの瞬間、それは僕の現実であり淡々とした時間であり、単なる安堵感でしかなかったのである。

 マラソンについて書かれた本を読んだ。「マラソンは35kmから始まるといっても過言ではない。気持ちと身体の疲労が限界に達する35km過ぎ、止まりたい気持ちと戦いながら、いままで積み重ねてきた練習を信じて、自分を信じて走り続けるのがフルマラソンだ。あきらめずに走り続ければ、きっと完走できる。自分を信じて一歩一歩前に進め」

 ずぶの初心者のマラソンとはこんなものなのだと思う。10kmマラソンやハーフマラソンでは少なからず達成感はあったものの、30kmを過ぎ挫折感に支配されつづけやっとのことでゴールした。42.195kmを走り終えた先には何かが待っていると信じ走り続けたのだが、ゴールをしてみるとそこには何もない虚脱感だけが漂っていた。このことに何か意味はあるのだろうかと考える。コンディションは悪かった。土砂降りのせいにしてしまえばいいのかもしれないが、僕自身がそれは違うことを一番知っている。努力とはそもそも報われないものなのだ。でもやっとわかったことが一つだけある。それがフルマラソンであるということだ。


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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2019年10月26日

わたしのいるところ

中森です。

 ジュンパ・ラヒリは英国生まれのインド人。以前彼女が書いた本について僕が感想を書いたことがあった。 
「停電の夜に」ジュンパ・ラヒリ著である。http://zenkaidou.sblo.jp/article/44332755.html

 今週の祝日に彼女がイタリヤ語で書いたものを日本語に翻訳したという本を読んだ。イタリヤというだけに須賀敦子と同じ感性を多少なりとも感じたものであった。

-*-*-*-*-*-*-*-*

 別離や災難の話を聞いているうち、プールの水がそれほど澄み切っていないことをひしひしと感じる。痛みや苦悩を知ることで汚れてしまっている。一度そのことに思い至ると、言いようもない不安に駆られる。その苦しみはすべて、ときたま耳に入り込む水のように滑り出てはくれず、心の中に巣くい、体のすみずみにまで楔のように打ち込まれる。

 その婦人はバッグを閉じ、わたしに丁寧にさようならをいう。ところが部屋を出る前、シャワーを浴びて体を拭いているわたしに声をかける。

 「あなたに似合いそうな服がクローゼットにたくさんあるのよ。とてもすてきな服なんだけれど、わたしにはもう着られないの。今度もっていきましょうか?」そして皮肉でなくこう言い添える。「もう何十年もわたしは生きていないのと同じだから」

 「わたしのいるところ」ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎 訳

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 ジュンパ・ラヒリの感性は素敵に研ぎ澄まされているのは十分わかるのであるが、この翻訳者の能力も相当なものであると思うのである。


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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋

 
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2019年10月19日

下関の関門橋に昇る朝日

 中森です。

 先週のブログは下関での日本薬剤師会学術大会に参加するためお休みした。

 12日土曜日台風19号が日本列島を横断し被害をもたらしたものの、山口県下関市で行われた大会は無事大盛況のもと終了した。12日の午後日本薬剤師会会長会が開催されるとともに盛大な懇親会で心温まる歓迎を受けた。一行は赤間神社まで移動して、源平の合戦から耳なし芳一伝説、近代の礎を作った長州藩を描く時代絵巻ミュージカルを神社境内で鑑賞した。
  
 翌13日は開会式を観客席から眺めていた。昨年度の舞台での僕のあいさつなどを懐かしく思い出していた。その日は夜の懇親会に顔を出し、その後ホテルに戻って世紀のラグビー対戦、スコットランド戦を見ていた。最高のラグビーの試合を4試合連続で見られるなんてと思いながらとても幸せな時間を一人でホテルの一室で過ごした。

 ラグビーの試合が終わった10時頃に僕は早々と就寝した。翌朝の目覚ましを4:50にセットしておいたからである。目覚ましに起こされた僕は日がまだのぼる前のため外はまだ真っ暗ななかホテルの部屋でランニングウエアに着替えた。日本薬剤師会学術大会のイベントのモーニングランに参加するためである。準備を整えバックパックを背負った僕はホテルを後にして、小倉駅の下関行の電車のホームに降り立った。そこには同じようなランニングウエアに身を包んだ人たちが電車を待っていた。電車が入ってきて座席に腰かけた後もちらほら電車の中にランナーたちが乗り込んできた。
 
 下関に着くとみな同じ方向に歩きだした。海峡メッセ下関の玄関前にはランナーたちが集結していた。ホスト役の浜田先生から来たことのお礼とお心づかいの声をかけられる。初めてお会いするのだが相手が僕を知っているというのは不思議な感じだ。昨年の学術大会で顔が割れてしまったからかもしれない。浜田先生は別大マラソンで2時間中盤の記録を持っている全国レベルのランナーなのだ。スーツを着た役員の方からも声をかけられる。浜田先生の挨拶と注意事項の説明が始まった。それが終わった時、金沢の赤丸先生も話しかけてこられた。滋賀の大原会長、日本薬剤師会の川上副会長とは前日の会長会でモーニングランにお互い参加することについてお話した。

 参加者全員で記念撮影を行う。このランのスピードは事前に1kmを6分から7分で走ると設定されるとのことであったので、これだと僕はついていく自信がある。そのためどの位置でも大丈夫だと思っていたのだがどういうわけか先頭についてしまっていた。まず僕は川上副会長と二列で走り出した。日は若干のぼってきたようであたりは明るくなってきた。最初からなりいきなり海岸沿いの埠頭にでた。なんて素晴らしいコースなのだろうか。向こうからは市民ランナーが走ってくる。海の空気がすがすがしく気持ちがいい。走るペースは7分よりもはるかに遅く8分ぐらいのほんとのジョギングペースである。このペースだと全く体に負担はかからないため僕は周りの人たちと気軽に雑談しながら走っていた。

 時折先頭を走る浜田先生が周囲施設を解説してくれ、みんなそれを聞きながら走っていた。海響館の水槽にはイルカがいるということなので見に行ったのだがその日は姿を現してくれなかった。

 朝日が昇りだしてきたとてもとても大きな太陽だ。朝日の位置に関門橋が大きく立っていた。それをバックにして全員で記念撮影をする。あとで写真を見てみるとみんなとても楽しそうだ。
 

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 すでに開設して活況に包まれている唐戸市場の横を走り抜け赤間神宮の前まで来た。浜田先生は赤間神宮について安徳天皇について、源平の合戦について簡単にお話をされる。

 その後関門橋の下をくぐり少し行くと海底トンネルの人道トンネル入り口に来た。その前には壇ノ浦の海岸が広がっている。ここからエレベータを下りて地下道へと行くのだ。地下は多少むっとした空気に包まれていた。浜田先生がこのトンネルを下っていったところに山口県と福岡県との県境がありますと言われる。それを聞いた2-3人が県境に向けて走り出す。そのほかの者たちもそれにつられてみな走り出した。

 そこそこの下り坂だ。これを折り返し戻って来ることを思うと帰りはつらくなるのではと不安がよぎる。県境まで来て県境のラインを示す写真を撮る。そして折り返して帰り道上り坂をひたすら走るのだがこの坂は能登島のマラソンや、一週間前の10月6日に走った兼六園を下り小立野台地まで駆け抜けた金沢百万石ロードレースに比べたらそれほどの坂ではないので苦しくはなかった。そもそもランのスピードが遅いのでこれまでの体力の消失はほとんどないのだ。再びエレベータで地上にでて浜田先生に写真を撮ってもらった。その時日本薬剤師会の総会議長の吉田先生が話しかけてこられた。吉田先生はフルマラソンを110回以上出ている超人である。吉田先生に参加させてもらったお礼をいい「さすがにこのペースだったら僕でも大丈夫でした」という。


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 それからの帰路はほぼ自由解散のようなランになり各自が出発地点まで走り出した。また先頭付近を走らせていただく。これまで途中立ち止まったりトンネルの中まで入ったりと連続で走らなかったので時計で表示されるペースはあてにならなくなっている。それでも僕にしては苦しくない安定したスピードを維持して走っていた。先頭は100kmマラソンに参加しているという大阪から来た先生。その第二集団にぼくを含めた集団が位置していた。皆さんもっと早く走れそうなのに楽しむことを主眼にしているのか本気を出さずに走っているようだ。帰路はは立ち止まることなく4kmを朝日を背に受け美しい下関の街を走りぬけた。その間浜田先生は朗らかにみんなに話しかけられている。おもてなしの心遣いを感じ心地よい時間が流れる。

 なんてなんて素敵なモーニングランなのだろうと思う。こんな美しい時間を過ごすことが出来るなんて僕はとてもラッキーだと思う。

 その日の3日前早々とホテルに着いた僕はホテルのジムで11km走った。ウエアを洗い乾かしてモーニングランに参加した。いつもひたすら考え続けている。「僕は何のために走るのか。なんでこんなつらいことをいつもやっているのだろうかと。」その答えが関門海峡の奥から登ってくる朝日を見た時わかったような気がした。


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下関薬剤師会、浜田先生と


 今日はそんなとこです

 では

 中森慶滋
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2019年10月05日

ノーサイドの花道


 中森です。

 ブルームフオンティーンスタジアムで2010年日本はカメルーンに1-0で勝利をあげる。サッカーワールドカップ南アフリカ大会のことである。

 サッカーの試合から先立つ1995年。Windows95が発売され金沢でもインターネットのノードが開設され、地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災が起こった年。1991年のラグビーワールドカップで宿沢ジャパンはジンバブア戦で初勝利を手にしてわずかながら手ごたえを感じていたジャパンにはかすかながらも世界に通用するのではないだろうかという期待があったのも事実である。天才スクラムハーフの堀越がジンバブア戦で見せたようにゲームを組みたててくれるのではないだろうかろと期待した。

 1995年南アフリカでのワルドカップ。ウェールズ戦を落としアイルランド戦でも後半突き放され意気消沈していた日本の相手は世界最強のニュージーランド・オールブラックス。痛々しいほどまでに悲壮感漂いながら、かろうじて試合前ハカを隊列を組んだジャパンは見ていた。その試合はさまざまなところで語られているように17-145で大敗した。

 この時ニュージーランドのメンバーだったのが現在の最強ジャパンを率いるジェイミー・ジョセフヘッドコーチであり彼はこの時世界の超弱国の日本の実力を知ったはずなのだが、何が彼をそうさせたのかはわからない。しかし彼は次の1999年のワールドカップに日本代表として戦った。

 先週の土曜日は過去を知っているラグビーファン誰もが1995年のブルームフォンティーンの悪夢の再来にならないかと試合開始を恐れた。リーチマイケルを先頭に全員が隊列を組み登場するその姿には悲壮感が漂っていた。力で押すヨーロッパラグビーにどこまで耐えれるか。彼らたちが信じている勝つという言葉はあっけなく粉砕されてしまうのではないだろうか。世界の実力を知っている者たちほど実力の差を実感していたに違いない。

 ところがジャパンは強力フォワードをことごとく潰していった。ボールを回し最後は松島が走り抜けた。トライは取れなかったものの9-12で前半を折り返した。いつどこで突き放されてしまうのだろうかと思いながら後半の開始を待った。驚いたことに後半になっても力で負けていないどころか対等以上にアイルランドを追い詰めていた。後半あと10分となって試合時間が無くなってきていても勝利は確信できなかった。しかし福岡の突破をみてその時はじめてこの試合勝ったと思った。

 試合後、アイルランドは花道を作り日本を称えた。日本もお返しの花道を作り、それに応えた。このシーンは反響を呼び公開された再生回数は100万回を超えた。

-*-*-*-*-*-*-*-*

 大会の日本語版公式ツイッターが実際のシーンを動画付きで公開すると、投稿直後から「何回見ても涙出る」「魂が揺さぶられる」「これぞノーサイドの精神」などとコメントが相次いでいたが、反響はさらに拡大。再生回数はおよそ100万回となり、「最高のスポーツ精神」「なんと美しい光景」「最高の友情ですね」「心から尊敬」と感動の声が広がっている。

 日本中を盛り上げたアイルランド戦。ラグビーのプレーのみならず、競技が持つ精神もまた、多くの人の心に刻まれた。
https://the-ans.jp/rugby-world-cup/85847/

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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2019年09月21日

Road Game


 中森です。

 今朝立ち寄ったコンビニに置いてあった多くのスポーツ新聞の一面に松島の文字があった。昨夜のワールドカップラグビーの日本対ロシアの一戦だ。この試合の前半は薬剤師会の会議があったので携帯で戦況を知ることしかできなかった。まず初めに0-7というスコアにあれっと思った。ロシアに先制されているのである。その後5-7まで戻したもののスコアの変化はしばらくなかった。駐車場に戻りテレビをつけると12-7と逆転していた。

 家に帰り後半戦を見る。テレビで試合の状況を見た最初の印象では、ことごとくJAPANがロシアの選手をつぶし、力で押していたので「これは勝つな」と思った。前回のワールドカップで南アフリカとの対戦の後半、南アフリカが一人少ない中JAPANはゴールを選択せずにトライを選択したときと同じ印象であった。そのときの試合には南アフリカが早くこの試合を終えたいという消極的な姿勢とこの世界の超弱小国に思わぬ善戦をさせてしまったという恥ずかしさのようなものが漂っていた。
 
 ラグビーは番狂わせの少ないスポーツだという。それだけにぶつかる強さ、フォワードの強さで試合開始の状況でほぼ8割は決まってしまう。しかし残りの2割は精神的な奇跡によってもたらされることもあるのだと南アフリカ戦で日本は知ることになる。

 かって南アフリカでのワールドカップでオールブラックスと対戦したJAPANは17-145で大敗を喫する。これを僕は衛星放送の生中継でなぜかベトナムのサイゴンで見ていた。試合後日本人が南アフリカの街を歩くと市民からワン・フォーティーファイブと吐き捨てるように言われ馬鹿にされたそうだ。

 日本ラグビーはフォワードが強くなくても早稲田ラグビーのようにボールを回して俊足を生かしウイング・スリークォーターバックがトライをゲットする。それが日本ラグビーであり、これは早稲田ラグビーが重量フォワードを擁する明治大学をかき回したように世界に通用するかもしれないと思われた時があったのだ。

 1991年のワールドカップのジンバブエ戦で2トライをあげた吉田義人は昨夜の松島を彷彿とされる美しいステップで相手を翻弄した。しかし1995年のオールブラックス戦での大敗からラグビー人気はどんどんしぼんでいったのである。

 日本でのワールドカップが開催されるとなった時のJAPANのメンバーを見てみな驚愕した。肌の色が違う様々な外国籍の選手たちで構成されていたからだ。しかしそのことで日本に重量フォワードがもたらされ俊足の松島とともにリーチ・マイケルの突破力をいかすことが実現した。

 いずれにせよ更に上を目指してもらいたいものだ。それが地元開催としての使命なのだろう。昨年金沢で開催した日本薬剤師会の学術大会と同じだ。学会のため勝ち負けはないものの石川県の金沢を、また異能集団である石川県薬剤師会の存在感をいかに参加者に印象付けるという点に関しては同じだ。


 先日の連休息子が住む大阪に行ってきた。翌日息子に案内され神戸元町のジャズ喫茶に行った。普段彼はここで本を読むなどして4時間ほど時間を過ごすそうだ。まだ暑い夏の日差しがある中、中華街から何本か道をそれたとこにある雑居ビルの地下に降りていきソファーに座った。

 しばらくするとアートペッパーの懐かしいレコードアルバムが飾ってあることに気が付く。流れている音楽をなにげなく聴いているとそれが飾ってあるアルバムの曲であることがわかった。「君ほほ笑めば」だ。アートペッパーがクラリネットで吹いていた。ジョージ・ケイブルスの美しいピアノのフレーズが光り輝いている。これはA面かB面だろうかと思う。AでもBでもどちらでもいいのだが僕がその時聞きたくなったのはそのアルバムに収録されているEverything Happens To Meであった。学生時代何度この曲をこのアルバムで聴いただろうか。当時の自分の境遇を象徴するかのような歌詞。

 アートペッパーは1957年のアートペッパー・ミーツザリズムセクションを代表するアルバムの他数々の名盤を生み出した。ウエストコーストを中心に活動していたのでニューヨークとはちょっと違うという意味も込めてクールジャズと呼ばれた。これはまた白人のジャズという意味でも使われた。アートペッパーのフレーズはチャーリーパーカーを彷彿とさせるだけではなく、ジャズのインプロビゼーションの可能性として深く聞くものの印象に刻まれた。そんな彼はその後麻薬におぼれ第一線から退く。麻薬更生療養をしている時ローリーと出会った。彼女はもう一度彼をジャズの表舞台に立たせたいと思った。壮絶なリハビリののち彼はジャズ界に復帰した。ビレッジバンガードでのライブを録音したアルバムは名盤だ。またそれはジャズの芸術としての可能性を表しているアルバムでもあった。

 日本公演では彼が登場すると場内から沸き起こった拍手は長い間止まなかったという。その時の彼は喜びも悲しみも人生の悲哀をすべて知り尽くしたヒトとしてアルトサックスを吹いていたから。ローリーは観客席で泣き続けていたという。この時の情景を描いた個所をインターネットに見つけた。僕も読んだアートペッパーの自伝「ストレートライフ」から引用したものだ。

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 1977年4月5日(火)はおそらくアート・ペッパーにとって生涯忘れ得ぬ夜だったと思う。カル・ジェイダー(vib) 六重奏団のゲスト・プレイヤーとして初めて日本のステージに立った夜である。芝の郵便貯金ホールでのことだった。

 第二部に入ってジェイダーが「アート・ペッパー!」と紹介し、ペッパーが下手から白蝋のような顔で登場すると、客席は興奮のるつぼと化した。マイクの前まで歩み寄っても拍手は収まらず、ペッパーはなすところなく立ちつくした。

「おじぎをして拍手のおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。何ともいえないすばらしい思いに浸っていた。あんなことは初めてだった。あとでローリー(妻)にきいたが、彼女は客席にいて観客の暖かな愛をひしひしと感じ、子供のように泣いてしまったという。僕の期待は裏切られなかったのだ。日本は僕を裏切らなかった。本当に僕は受け入れられたのだ。(中略)生きていてよかった、と僕は思った」

(自伝『ストレート・ライフ』p469/ スイング・ジャーナル社刊)
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 そんなことを考えながら、これまで聞いたことがないような巨大な超高級ステレオセットからアートペッパーを聞いていた。この曲はアートペッパーとしては珍しくクラリネットで演奏している。

 「君ほほ笑めば」が終わった。ロサンゼルス、メイデンヴォーエィジでの収録。アートペッパーが亡くなる約一年前の1981年の演奏だ。次の曲はいくつか考えられる。

 @このアルバムが終わり別のアルバムの曲がかかる
 Aアルバムの次の曲がかかる
 BEverything Happens To meがかかる。
 
 沈黙が訪れた。出だしの一音でどの曲かがわかる。それだけ僕はこのアルバムを聴きこんでいた。音楽が聞こえた。こみあげるものが僕の感情をゆさぶった。誰にも気が付かないよう僕は涙を一滴流した。

 僕が学生時代ジャズ喫茶は全盛であつた。そんな僕は本を読むためにジャズ喫茶に通った。そういう時代はレコード発売の終了とともにすたれていくものと思った。それでもなおCDを中心として営業している店もあったのだが、時代とともに本を読む空間はジャス喫茶からスターバックスコーヒーにとってかわられるようになった。しかし通信とコンピュータが融合するという5Gの時代においてジャズ喫茶が営業していて、息子が僕と同様にその空間を楽しんでいるというそんな時が訪れるとは思いもよらなかった。

 そんな空間をつないだのはアートペッパーのEverythhing Happens To meであった。
 まさにそのタイトルのように僕にはいろんなことが起こるのである。


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https://www.youtube.com/watch?v=E57SMan1-uA

 今日はそんなとこです

 では

 中森慶滋
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2019年09月14日

Hyper Ballad


中森です。

 いつも調剤している時に音楽をmp3で流しているのだが、昨日かかって手を止めたのはFox Capture Planがカバーしたインストゥルメントの「Hyper Ballad」。
 Byorkがアルバム「ポスト」に収録した1995年の楽曲だ。そのあとYoutubeで探し出しByorkのPVをPCで流した。

 I go through all this
 Before you wake up
 So I can feel happier
 To be safe up here with you

 これらみんなやるわ
 あなたが起きてくる前に
 そのとき幸せを実感できると思うの
 あなた一緒だったなら落ち着けるわ

 それから僕はByorkのアルバムをアマゾンで注文した。

 一昨日のジムでは15.2kmを走った。距離に対しての恐怖と疲れを感じることが次第になくなってきたような気がする。そのうちジムでハーフを走れるかもしれない。「Hyper Ballad」を聞きながら。

 走っている時は所有しているものは何もない。自己の体と精神だけの世界。すべてを捨て去ろうという。「Hyper Ballad」が意味しているのはそういうことなのかもしれない。その時宇宙の中に漂うByorkの世界とつながることが出来るのだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=EnZzE89Qn7w

 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2019年09月07日

「時間」

 
 中森です。
こと
 真夏の日差しが戻ってきた。なんて暑いのだろう。どのような仕組みで気温が上がるのかは専門家なではないのでよくわからないのだが、日本列島をすっぽりと覆った太平洋高気圧のせいなのだろうか。この勢力も次第に弱くなっていくと秋が訪れるのだろう。

 戦後、東京で学生生活を送るようになった須賀敦子氏が夜行列車に乗った時のことを彼女のエッセイで読んだ。その時の鈍行の夜行列車はとても硬い座席であった。彼女はあとどのくらいすれば東京に着くのだろうと窓の外を眺めていた。ふと目がされたとき列車は見覚えのない小さな駅にとまっていた。駅員もいない山を背にした駅。高いところから水が落ちる音が聞こえる。汽笛を合図に列車はきしんだかと思うとゆっくり動き出した。

*-*-*-*-*-*-*-

 そのとき全く唐突に一つの考えがまるで季節はずれの雪のように降ってきて私の意識をゆさぶった。
《この列車は、ひとつひとつの駅でひろわれるのを待っている「時間」を、いわば集金人のようにひとつひとつ集めながら走っているのだ。列車が「時間」にしたがって走っているのではなくて。(略) 》

「霧の向こうに住みたい」須賀敦子

*-*-*-*-*--*-*

 この文章を読んだとき無性に旅に出たくなった。業務をかかえているのでこのようなゆっくりとした時間を追いながら旅をするのは難しいのだろうがせめてその片鱗でもいいから感じることであわただしい日常から逃れられるのではないかと。

 次男が卒業旅行でバックパックを背負い行ったというラオスのルアンパバーン。彼はもう一度ルアンパバーンに行ってみたいという。とりわけ有名なものは何もないというこの街は街全体が世界遺産に登録されている。 

 「時間」とは須賀敦子氏が書いているように日常のから外れたところに存在しているのではないだろうか。様々なテクノロジーが台頭して周りを埋め尽くし出してきた現代ではそんな「時間」を感じることがめっきり少なくなった。いや、だからこそ世界中にいまだ存在しているその「時間」を楽しむことができるのかもしれない。

 
ルアンパバーン


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 中森慶滋
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2019年08月31日

8月31日土曜日の朝



 中森です。

 最近の天候は晴れているのか雨なのか、暑いのか涼しいのかよくわからない。これは一日のなかでめまぐるしく外の環境が変化しているからなのだろう。全国各地で災害が起こっているが金沢は比較的災害に見舞われていない。感謝すべきことだ。

 今週も会議などがありあまり本を読めなかった。本屋の店頭で読みたくなった本はつい買ってしまうので、読んでいない本がどんどんたまっていってしまう。先日はさすがに本を手に取ったものの買うのをやめた。これは僕の活字中毒による習慣性から逃れられないせいなのだろうか、お酒や、ギャンブルと同じ依存性が働いているのだろうか。いずれにしても本を読み始めたら3時間が基本的ワンセット、長い時は5時間と読み続けてしまう。これが10代や20代であれは周りからもっと何かすることはないのかなどと陰口をたたかれそうだ。自分でもほんとに暗い生活だと思うのであるが、そうなってしまったものは仕方がないとあきらめている。

 せめてまともなものがあるとすればジムに行って走ることぐらいしかない。しかしこれもまた単純で孤独な習慣だ。これまで1時間3分で10kmを走るのをワンセットとしていた。一キロを6分18秒だと途中疲れるることもなく、歩くこともなく走れるのでちょうどいいスピードであるのだが、いつも1時間が来るのを待てなくて40分を過ぎたあたりから気になりだし、気になりだすと疲れも感じるようになる。

 最近のことなのだが、走っている時は楽章が10分や15分という長いクラシックの音楽を聴くようにして時間を気にしないようにした。それでも時々つらくなるとまだかななどと思ったものだが。自分で自分をごまかした。とっくに時間は過ぎているのに、この楽章が終わったら1時間を超えているはずだと。そのため走る距離がどんどん伸びていった。スピードは同じなので時間は20分ほど多く走りこの前は気が付いたら13.46kmで走るのをやめた。まあそれがいいのか悪いのかはわからないのだが。しばらく金沢マラソンの対策を練っていこうと思う。

 10月27日の金沢マラソンを前に10月6日には百万石ロードレースが開催される。これは本来僕のようなレベルのものが参加するようなレースではないのだが、10kmに登録した。目標タイムは1時間を切ること。おそらく僕の後ろにはほとんどだれもいないだろう。それはそれでいいのだ、仕方がない。この大会はハーフも同時に開催される。しかし制限時間を超えられるか微妙に自信がないので熟考したのだがやめることにした。明日は東京で研修会が開催される。早朝の6時ごろ皇居を再び一周してこようと思う。天気はどうだろうか。まだ暑いので小雨であれば走れるのではないだろうか。

 先週「カッコいい」ということについて様々な角度から考察を加えた芥川賞作家の平野氏の本を読んだ。
 その本から僕が理解したことは次のようなことだ。人生を一変させるような「カッコいい」出来事に出会ったとき、自分の人生に何らかの意味があることがわかるかもしれないということ。そしてその存在を通して、人生を一変させられ、その生に意味を見出し生きる方向性を指し示されるという体験が「カッコいい」というこのなのかもしれない。ビートルズであれ、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンであれビル・エバンスであれ横尾忠則であれ、彼らの体験は、僕の中に本来もっている自分の変容能力の可能性を刺激するのかもしれない。それがカッコいいと感じる瞬間なんだろう。

*-*-*-*-*-*

 重要なのは、1960年代に世界的に巻き起こった「カッコいい」ブームに於いても、若者たちが未知なる文化に触れ、それを素晴らしいものとして享受し、またそれに触発されて更に新しい何かを創造していったのは、基本的にこの体感主義に基づいており、それは今日の私たちに至るまで、ずっと変わらないということである。

 ドラクロワ=ボードレール的な体感主義の功績は、これによって美の多様さを擁護しただけではない。同時に、何が美であるかというジャッジを、ヒューム的なエリート主義から解放し、万人に開き、言わば民主化したのである。つまり、何が美しいかについて、誰もがその生理的興奮を根拠に自説を語ることが出来るようになり、それ自体がまた作品の多様性を拡大していったのだった。

「カッコいい」とは何か  平野啓一郎著

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 そういえば昨夜チームラボ展に行ってきた。夏の夜の涼しいひと時であった。


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https://www.teamlab.art/jp/e/kanazawa21/


 今日はそんなとこです。

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 中森慶滋
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2019年08月24日

月が笑う


 中森です。

 昨日の夜22時過ぎ薬剤師会の会議が終わり、家に帰ったとき角田光代氏の短編小説を読んでいた。今僕が印象に残っているストーリーをかみ砕いて書こうと思う。そのため実際とはニュアンスが多少違うかもしれないことをご容赦いただきたい。

 最近よそよそしくなっていた妻、倦怠な静けさは夫婦にとってはよくあることだと思っていた。そんな妻が離婚をしてほしいと切り出してきた。主人公の泰春はもっと二人の時間を作ればよかったのかなと後悔する。

 泰春はマンションのローンを抱えていることもあり途方に暮れる。妻は僕のためにも離婚すべきだというが、妻のこれまでの行動に怪しさを感じたことがあることを思い出す。そのうち妻は三日に一度ぐらいしか家に帰ってこなくなり、会話すら避けるようになる。泰春は調査を頼んだ。報告書が届いた。妻には交際相手がいることが記されていた。それから家に帰るたびに妻が置いていった離婚届に記入してくださいとメモが残されるようになった。泰春は妻のサインがしてある離婚届を破り続けた。ある日、見てくれというばかりにごみ箱に検査した妊娠判定機が無造作に置かれていた。結果は陽性であった。
 
 自分の母親がお正月だというのでマンションに尋ねてきた。父とは見合い結婚だったからしいが、そのせいか甘い交際期間は思い出せないという。しかしかろうじて覚えている出来事があるという。父としては珍しく銀座で食事をしようということになった。銀座で待ち合わせした母は一緒に歩きたかったのだが父はどんどん前に進んでいった。母のことなど存在しないかのように一人で歩いて行った。

 父の姿を見失なりそうになった時、紳士的で素敵な男性からお茶でも飲みに行きませんかと声をかけられる。一瞬心が揺れたもののその言葉を無視して父の後を追いかけていった。母はその時声をかけてきた男についていったら自分の人生は変わったのかもしれないと思うという。こんな話を妻に離婚を突き付けられて一人でマンションにいる自分に母から聞かされた。

 そのとき、子どものころ車にはねられたことを思い出した。白い車が6歳ぐらいの自分をはねた。体はかるかったために大きく飛ばされた。しかし奇跡的にけがもせずに助かった。その時婦人警官が自分に尋ねた。「あのねボク、ボクに痛い思いをさせた人を、許す?許さない?」泰春は自分の答えではねた人がどうなるのかなんて想像はできなかった。ただ単純に許すのか、許さないのか。

 許す。

 と泰春は答えた。「そっか、許すのね。えらいね、ボクは」と婦人警官はにっこりと笑いそれを見た泰春は許すって言ってよかったんだと思った。もし許さないと言ったら自分をはねた運転手はどうなっていたんだろうと思った。そのことで自分は重苦しいものを背負っていかなければいけないのではないかと六歳の自分は確かにそう思ったことを思い出した。
 
*-*-*-*-*-*-*

 あのとき許さないと答えていたら、では自分は、今の自分と違っただろうか。もっと強い男になっていただろうか。たとえば・・・妻の恋人に殴り込みをかけられるような、引きずってでも妻を家に連れ戻せるような、どんな手を使っても妻とその恋人を別れさせられるような、「許さない」ことを全身で表明できる男になっていただろうか。

「月が笑う」 角田光代著

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 母に妻と別れようと思っているという。母はいろいろあるもんねと理解を示す。母をホームまで見送りに行ったとき、空の片隅にせっけんみたいな形の月が浮かんでいるのが目に入る。その月は笑っているように見えた。自分にむかって。

 家に帰ったら離婚届にサインをしようと泰春は思った。そして妻にいい子を産めよと言ってやろうと思った。

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 石川県民にとってうれしいことがあった。星稜高校が甲子園大会で準優勝したのだ。県民は僕を含めてもちろん優勝することを願っていた。終わってみれば準優勝。その時金沢らしい結末だと思った。加賀藩は天下を取らないのが処世術なのだ。決勝の舞台まで踏むものの、あとは相手に勝たせておいて決勝の舞台を楽しむ。100万石という財力がある日本でも有数の一大勢力であった加賀藩。そのため何かと他の大名から恐れられた。そのため天下を取る意思はないことを示した。茶、器、懐石、能、和菓子、などに膨大なお金を使い振興した。

それが金沢らしさなのだ。という負け惜しみでお茶を濁そうか。笑


今日はそんなとこです

では

中森慶滋
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2019年08月17日

耳なし芳一

 
 中森です。

 今週はお盆週間であった。薬剤師会などの夜の会議はないためにスタバやタリーズにこもりブラックのアイスコーヒー一杯をワンセット約3時間で本を読み続けた。とても意外なことなのだがお盆の時期のコーヒーショップは空いているため、近くに坐ったお客さんの話し声に煩わされることなく本に集中できた。それでも時々気になりだすとバッグからmp3プレーヤーを取り出しラフマニノフの交響曲で耳をふさいだ。ラフマニノフは音楽に気をとられすぎることなく自然に本に集中することができるのだ。
 
 日曜日、古くからの友人が9年間住んだオランダから帰国して金沢大学のサテライト講座を持つというので聞きに行ってきた。ビートルズの来日時の熱狂について。アグレッシブに語り掛ける彼の話は相変わらず話の内容の精度は高かった。彼はビートルズ評論家として数々の本を書き、近年では「ビートルズ来日学」という本が各書店のノンフィクション部門で上位を獲得し続け、朝日新聞で大きく紹介されたときはさすがに驚いた。

 それから県立音楽堂の邦楽ホールに行き池辺晋一郎氏のオペラ「耳なし芳一」を見てきた。まずは神田松之丞氏の新作講談「耳なし芳一」から始まる。講談の力強さに圧倒された。現実を離れ邦楽ホールの暗闇からさらに耳なし芳一の舞台まで誘導される。その幽玄さから異空間へとのスムーズな展開にこれまで感じたことがないような舞台の魔力に引き込まれていった。


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 オペラが始まる。芳一役を演じる所谷直生氏は石田さえさんがオーケストラピットで琵琶を弾くのに合わせて舞台で琵琶を弾くしぐさをする。話しは子供のころからなじんだおなじみのストーリーなので歌っている歌詞をうまく聞き取れなくてもついていける。パートは大きく分けて三つに分かれている。

 @落ち武者が芳一を訪ねてきてお屋敷に案内する。そこで壇ノ浦の戦いを琵琶を弾きながら語らせる。その場にいた多くの従者たちは泣き崩れ、中央に一人坐った子供の人影は若くして壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇であった。

 A不思議に思った寺の住職は坊主に芳一の後をつけさせていく。芳一は死霊が漂っている安徳天皇の墓の前で琵琶を奏でていることを目にする。

 B芳一に墓に行かせないために、お経を全身に書く。お経が書かれていると悪霊は芳一を見ることができないのだ。ところが住職は耳にお経を書くのを忘れてしまう。悪霊が見たのは闇夜に浮かんでいる耳であった。悪霊は芳一がいないので仕方がなくその耳をはぎ取り持って帰ることにする。

 それから何年かたった。耳を失った芳一が奏でる琵琶の音色はその出来事があったせいか一段と磨きがかかり、各地で評判を呼ぶことになった。

 舞台は最後の場面を迎えた。芳一は評判を呼ぶことになったとされる琵琶を一心に奏でる。彼ははこれまでとは違って黒い装束をまとっている。この時の琵琶はすごかった、とても信じられないような琵琶の旋律が迫力を伴い迫ってくる。最後にこの迫力を出すために芳一役の歌手の所谷直生氏と琵琶師の石田さんがぴったりと息を合わせる練習をしたのだと思った。

 芳一が立ち上がった。その時、芳一ではなくそれが女性であることに気が付く。石田さえさん本人が琵琶を弾いていたのだ。場内から割れんばかりの絶賛の拍手が沸き起こる。

 素晴らしいオペラの真夏の怪談に素敵なお盆のひと時を過ごしたのである。


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 最近思うのである。ジムに行きランニングマシーンで走っているとき、僕はヨガをしているのと同じ状態になり、別の次元と繋がっているのではないだろうかと。そこでは僕の意識は拡大して宇宙とでもいうべき存在と一体化する。そのとき僕が学生時代にコルトレーンを聞き、宇宙を感じそして宇宙と繋がったと思った瞬間を思い出すのだ。

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 あなたが宇宙との一致を果たす時、心が同じように宇宙と共鳴を果たした人々とつながる。逆にあなたが共鳴できない人たちは、宇宙とも共鳴できていないことになる。共鳴できないでいる人たちも愛し、祝福し、あなたが共鳴することで彼らを宇宙の波動に再び招き入れよう。たとえ愛する人のためにと、自分のほうが調和から外れて助けたい相手のいる場所に赴いても、あなたにできることは何もない。

 もし彼らが加わって来たら、きっと難なくあなたと調和できるだろうし、たとえ彼らが加わらない選択をしたとしても、その道を祝福しよう。誰も他人を説得したり、引き込んだりすることはできないのだ。彼らは自分のタイミングで加わることだろう。だから、放っておくことである。

 宇宙があなたに望んでいることは、ただあなたが調和した状態に存在し続けてくれること。それには、あなたが自分を宇宙のフィールドに合わせて一日をスタートさせることだ。

 「思考が物質に変わる時」ドーソン・チャーチ著

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 今日はそんなとこです。

 では


 中森慶滋
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2019年08月03日

 中森です。

 医薬品のセールスにはいろんな人がいていろんなタイプやセールス方法があるのだが、彼の場合は一風変わっている。いろんな金沢近郊のグルメ情報や音楽情報、ジャズの歌詞のトリビアな情報などを時々持ってきてくれる。

 以前僕は村上春樹は多分ほとんど読んでいるんじゃないかなと言い、代表作からおすすめ、村上春樹の入り方などを話したことがある。

 彼はあるとき村上春樹が東京FMでラジオ番組を持つということを聞きつけた。自作のエッセイでもあるタイトル「村上ラジオ」という番組。これをどこで録音したのか持ってきてくれたのだ。そのことを聞いた時村上氏のの処女作である「風の歌を聴け」の中にもディスクジョッキーが出て来て印象的なシーンで語り掛けてくるのを思い出した。

 そのCDはすでに6枚もたまっていた。僕はてっきりmp3で収録されていてこれをPCで再生しなくてはならないものだと思い込んでいたため。聞くことはなかった。ある時これはCDとして焼いてあるのではと思いCDプレーヤーにかけてみることにした。さすがそのセールスは抜かりがなくCDとして聞けるように焼いてきてあったのである。ちょっと考えればこればこれって当たり前のように思うのだが、僕の思い込みが勘違いを生んでしまっていた。

 ジャズについて小説について、ビートルズについてなどが語られる。ノルウェーの森というビートルズの歌のタイトルが小説に使われているのは有名であるが、彼はビートルズを40歳になってから聞き始めたそうで、ビートルズの熱狂には世代がドンピシャにもかかわらずシンクロしていないという。それも納得のいくことで、彼の音楽的素養はジャズとポップスとクラシックでつくられていることから、当時熱狂的なアイドルとして騒がれていたビートルズという存在はとんがっていた中学高校生時代まったく背を向けていてもおかしくはないのだ。

 村上氏はスペイン語でカバーされた「When I 'm 64」を番組の中で紹介していた。ここでおかしいことがあるという。男性が女性の歌をカバーするときはジャズでは「he」を「she」に置き換えたり男の子の名前を女の子に変えたりするのはよくあることでそれはそれでいいこととされている。また蔑視的に使われている黒人訛りのアクセントは黒人が歌うときはさりげなく訛りを外している。

 さて、このカバー曲についての指摘であるが、言われれば大したことはないかもしれないがタイトルにまでなっている数字を変えて歌っているという。これからぼくたちが年をとり頭が禿げ上がり64歳になってもバレンタインや誕生日のカードや、ワインを送ってくれるかな。そしてもし僕が夜中の3時前まで帰らなかったら、玄関のカギをかける???という歌詞。この64歳というのは仮定の話である。それが65歳でも63歳でもポールが作った歌の歌詞の意図は変わらないだろう。

 スペイン語では63歳と歌われていた。
 
 村上春樹氏はいったいこれはどうなんだろうと冗談めかして語っていたが、理由は村上氏も分かっているのだろう、スペイン語で4はクアトロで3はトレス。さすがにクアトロでは歌詞のおさまりが付かないからなのだと思うのだ。

 と言う成り行きがあり再び昨夜僕は村上春樹氏の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」を再読した。特に「納屋を焼く」は韓国で映画化されたようで「納屋を時々焼くんです」というこの言葉のシュール感に読者はまどわされる。

 「蛍」は「ノルウェーの森」の原案となっており美しい孤独な恋愛短編小説である。


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 僕にはいろんなことがよくわからないし、わかろうとは務めているけれど、それには時間かかかる。そして時間が経ってしまったあとでいったい自分がどこにいるのか、僕には見当もつかない。でも僕はなるべく深刻にものごとを考えまいとしている。深刻に考えるには世界はあまりにも不誠実だし、たぶんその結果としてまわりの人間に何かを押しつけてしまうことになると思う。僕は他人に何かを押しつけたりはしたくない。君にはとても会いたい。でも前にも言ったように、それが正しいことなのかどうか僕にはわからない・・・

「蛍」村上春樹著

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 主人公である僕は高校の時自殺してしまった友人の彼女と付き合っていた。友人の死は僕の中に入り込んでしまっていて自分の生とともにそれは共存するようになっていた。彼女と僕は東京の別の大学に進学し、別の場所で暮らしそして時々デートをした。

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「ここのところずっとそうなの。本当にうまくしゃべれないのよ。何かをしゃべろうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、まるで逆だったりね。それで、それを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当違いになっちゃうの。そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。まるで自分の体がふたつにわかれていてね、追いかけっこしているみたいな、そんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこの周りをぐるぐるまわりながら追いかけっこしてるのよ。それでちゃんとした言葉って、いつももう一人の私の方が抱えていて、私は絶対に追いつけないの」

「蛍」村上春樹著

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 彼女は彼のことを忘れられなくて、僕はそんな彼女に翻弄され自殺してしまった友人の死が僕の中にいつまでも存在し続けた。そしてある出来事の後、彼女は僕の前から去っていった。

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 蛍が消えてしまったあとでも、その光の軌跡は僕の中に長く留まっていた。目を閉じた厚い闇の中を、そのささやかな光は、まるで行き場を失った魂のように、いつまでもさまよいつづけた。
 僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指は何にも触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。

「蛍」村上春樹著

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 今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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2019年07月20日

Los angeles,November,2019


 中森です。

 1984年、ヨーゼフ・ボイス、ローリー・アンダーソン、ピーター・ガブリエル、 アレン・ギンズバーグ、そして坂本龍一、などのアーティストが衛星放送を介しニューヨーク、パリ、ソウル、東京を結び、生放送でコラボレートし合う壮大な実験を行った。パイクは、電子メディアによって世界中がつながることで人々が解放されるものの、同時に大衆が愚昧化するいう意味をそれに込めた。

 メディアが台頭しはじめたこの時代、このようなネットワークはインターネットの出現を先見したものであったが、このときメディアの時代の到来を謳った論者たちは、マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ」の概念を振りかざし、技術が世界を解放するというユートピア的ヴィジョンを声高に述べていた。

 もちろん1984とはジョージオーエルの小説から発想を得ているのだが1984年にはまだビッグブラザーは出現していなかった。

 1992年は映画「2001年宇宙の旅」に出てくる人工知能のコンピュータ「HAL」がイリノイ州のアーバナーで産声を上げたのだが奇しくもそれはインターネットの出現と重なることになる。そして2001年の現実は映画を超えることはなかった。
 
 2019年11月ロサンゼルスを描いた映画「ブレードランナー」。ここに出てくるレプリカントも空飛ぶ車も現在いまだ出現していない。

 しかし、5G、ビッグデータ、ブロックチェーン、AIが現実の世界に入りこんでくる現在、映画の世界で進むスピードにやがて追いつき、さらには想像もしなかった世界がわれわれの前に待っているのかもしれない。


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今日はそんなとこです。

 では

 中森慶滋
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